私には、望んでいたものがある。
けれどそれには、得られないものが多くあった。
ひとつは“両親”に愛されること。
これに関しては、すでに諦めをつけている。
彼らはもう私には見向きもしなければ、存在すら意識しない。
私を消さずにただ幽閉しているのは、外聞に関わるからだ。
私の苗字である“ブラック”は、聞けば由緒ある家柄。
そのような家柄が、継ぐに相応しくないという個人的な身勝手で、
実の娘を消したという後ろ暗い事実を背負うのは頂けない。
何処からか洩れたとなれば――名に深く傷を負う。
そんな危ういことをするくらいなら、娘の存在を知られていても、
病弱で寝たきりだと言えばいい。
そうすれば、世間はとたんに気にしなくなるものだから。
“病弱”の娘がいつの間にか消えたとしても、疑問にはしない。
だから、幽閉の手段をとるしかないのだ。
ひとつは“普通”に生きること。
私は幽閉されたまま、屋根裏での生活しか知らない。
目覚めても、眠りに落ちても、食事を取る時でもただ独り。
おはようも、おやすみも、いただきますも、ごちそうさまも。
簡単な挨拶でさえ、私には言う相手がいない。
言葉も、文字も、計算も、現象も、常識も、道徳心も、想像力も。
近しい人から何ひとつ教わることはなかった。
知っていたものは、最初から反則的に得ていた“知識”のみ。
それがあったからこそ、教えられずとも今の状況が――
子供が一人幽閉されていることが異常であると分かっていた。
もしも私が何も持たない、ただの子供だったなら。
命としては生き延びたとしても、心が生きているかは分からない。
――ぞっとする。
だから、私は今を生きているだけで良しとした。
そして私が私であるための、いくつかの約束を作った。
私のために、私を愛する弟のために。
慣れてみせよう。
「姫君……!」
屋根裏に駆け込んできた姿に、私は思わず目を見張った。
肩で息をする様子に、私は慌ててアルファード様をソファへと促す。
新しいカップを用意して、ポットから熱い紅茶を淹れなおした。
私はアルファード様の正面に立ち、俯く顔を覗きこむ。
「アルファード様、どうなされたのですか?」
「姫君……」
ソファに座ったアルファード様が、正面に立つ私を見上げる。
青ざめた頬に指先で触れると、いつもの温もりがとても少ない。
「お顔が冷たくなってますわ」
そっと両手で頬を包み、額を合わせて目を閉じる。
少しでも、アルファード様の温もりが戻ればいいと願う。
しばらくすると、私を呼ぶ声がした。
ゆっくり瞼を開ければ、優しいアルファード様の瞳がある。
左手で私の右手を包んだのを合図に、私は額を外した。
小さく微笑んでいても、少しだけ苦味のある微笑みだった。
「……取り乱してすまない、姫君。驚かせたな」
「いいえ、気にしておりませんわ」
「そうか……」
私の言葉にひとつ頷くと、また険しい顔に戻ってしまう。
アルファード様のこれほど感情的な姿を見るのは、初めてだ。
静かな物腰で、紳士的な姿勢を崩したことがないアルフォード様。
初めて会った時より、少しだけ堅苦しさは抜けたようだけれど、
大人の対応をしながらも真剣に返す所は変わらない。
けれど今宵はとても苦しげで、苛立ちを隠せないような雰囲気。
一体何が、アルファード様を思い悩ませているのだろうか。
ふいに私はひとつだけ、あることに気づく。
ある意味で自信過剰だと思うが、当たっている可能性もあるのだ。
黙りこんでしまったアルフォード様に、私は思いきって訊く。
「……アルファード様、もしや……入学の件、ですか?」
答えはないが、重なる掌に少し力が加わる。
私は思わず目を細めた。
アルファード様と初めて出会ったのは5歳の頃になるが、
それ以降も私の屋根裏での幽閉生活は変っていない。
大きく変わったものといえば、とある出来事が原因で弟たちの来訪が
バレてしまい、会うことが困難になったこと。
それを知った衝動で思わず家出をし、重ねるようになった私。
外界の危険を気にして、私が出来るだけ家出をしないよう以前よりも
来訪の頻度を高めてくれたアルファード様。
――私は今年の冬、11歳になる。
私の生まれた“括り”の名は魔法界。
魔法界の旧家である名門ブラック家に生まれた子供である私は、
血を受け継いで自身の魔力を持っていた。
魔法のことをきちんと学ばせるため、11歳になる子供には手紙がくる。
それは『ホグワーツ魔法・魔術学校』の入学案内。
明日の入学式を前にしても、私には1通も届かなかった手紙が。
「すまない、姫君……」
「何がですの?アルファード様」
「……私一人では……妨害を止めきれなかった……。ダンブルドアも
姫君を気にかけてくれていたのだが……」
「まあ……!」
偉大な魔法使いであるダンブルドア校長までもが、私を認め、
気にかけてくれていたとは思ってもおらず、正直に驚く。
しかしあの方は名が広く、ホグワーツの校長という立場もある。
一人の子供のために、目立つ行動や介入が許されなかったのだろう。
特に、闇側に位置する者たちの家庭内事情には。
「それだけして頂いたのなら、わたくしは充分ですわ」
「姫君!」
「分かっていました、私がホグワーツに通えないということ。彼らは、
私という存在を世間に出すつもりはありませんもの。アルファード様も
ご存知の通り、どんな手を使っても」
「…………」
「――あの時にように、“愚か”だと言わないで下さいませ。私にはそれが
必要だったのです。ひとより多くを諦めることに慣れなければ、
いけなかったのです。私が私であるためにも」
最初から私自身が分かっているのだから、アルファード様がそれほどまでに
心を痛めずとも良いことなのだ。
私のためと考えてくれるのは、幸せでもあるのだが。
けれど、私はこうも考えている。
幽閉された状況や入学の妨害などは、些細なことだと。
生きていること、弟がいること、アルファード様に出会えたこと。
これらの幸せに比べれば、時折思い浮かぶ“普通”など波の花。
今更新しい“普通”などは欲したりはしない。
生きる糧があればいい。
「……そうか。すでに覚悟を決めていたのだな、姫君。私は姫君を
甘くみすぎていたようだ」
「ふふ。アルファード様はいつ気づいてくれるのでしょう?
わたくしはいつまでも、5歳の少女じゃありませんわ」
私はにっこりと笑ってみせる。
アルファード様は少し目を瞬かせ、ふっと微笑んだ。
それはいつもの、優しく温もりに満ちた微笑み。
「お慕いしておりますわ、アルファード様」
END.