※名前が出てきません。
思えば、私は世界というものが狭すぎて、自身の感情が
広がりにくかったのではないだろうか。
狭いも狭い、狭すぎる。
何せ今まで壊さないようにしてきた私の世界とは、屋根裏部屋と
弟たちのみなのだから。
記憶の片隅にある“かつての私”という人間は、何事も狭きに
関することを一番に嫌っていたくらいである。
けれどそのように考えられるのは、世界が広いことを知り、
成し遂げることができる実力を持ち、なおかつ個人で行動できる
立場というものがあるからなのだ。
私は物心つく前から、屋根裏部屋の中で幽閉されていた。
申し訳程度の家具以外に置いてあるものは、しもべ妖精が時々
こっそりと持ちこんでくれる本ぐらいだろうか。
とはいえ、勉学に使う教科書でもなければ、意味を教え、
内容の解釈を講ずる教授や感想を語り合う者もいないのだ。
ただ単に渡されただけでは、知識や感情が発達するわけもなく、
私にとっては言葉を覚え直すための道具にしかならなかった。
そうしたのも、“かつての私”の記憶から出来たこと。
私が文字も言葉も知らないただの幼子だったならば、ぞっとする。
ひとは時に、考えない者が悪いと、行動しない者が悪いと言う。
だが、それはきっと違う。
考えることや行動すること、これらを自分が出来ると知っていて
気づけるか否かが、分かれ目なのだろう。
知っていると、気づくということすら教えられない環境では、
何を言われようとどうしようもない。
星が空を満たそうとも、月が明るい夜でも、何も感じなかった。
今では何もかもが輝いている。
つまり、自分の出来ることに気づけたならば。
――世界は広がるのだ。
「アルファード様」
さらさらと涼やかに流れるような朗読が一区切りした所で、
私は、私を膝の上に座らせてくれていたひとを見上げた。
青の瞳が笑う私を映して、優しく細まる。
私の世界に足を踏み入れたひと。
叔父様――アルファード・ブラック。
アルファード様はあの日から、時間を見つけては私の元へと足を
運んでくれていた。
しもべ妖精の話によれば、アルファード様は私の両親たち、ひいては
“家”自体の考え方がお好きではないらしい。
ここへは夜に人目を忍んで、密かに足を運んできているそう。
だから、両親は未だにアルファード様の来訪を知らないという。
弟とは数度目の来訪の時に落ち合っている。
どうやら弟も、アルファード様のことを慕っているようだ。
そして驚くことにアルファード様は普段、あまり話をされない。
口を開くのは会話の応答や、何か言うべきことがある時、
私に本を読み聞かせてくれる時などになる。
それ以外の時は口を閉ざし、とても穏やかな静けさを保っている。
私を見下ろす瞳がゆるりと瞬き、続きを促された。
「アルファード様、お耳を貸して下さいな」
私が頼むと、アルファード様は不思議そうな表情をしながらも、
ゆっくりと私の方へ頭を下げてくた。
ねえ、アルファード様。
「初めてお会いした日からお慕い申し上げております。
どうかわたくしを、アルファード様の妻にして下さいませ」
驚きに、見開かれる青の瞳。
「……姫君?」
「聞き間違いなどでは、ありませんわ?」
「何を――」
「わたくし、何度でも言いますわ。心から愛しております、アルファード様。
わたくしと結婚して下さいませ!」
「……落ちつきなさい、姫君……」
アルファード様は額に手を当てるが、私は充分に落ちついている。
今この場で落ちついていないのは、アルファード様ひとり。
ただ幽閉されている幼い子供だと思って侮られては、困る。
何せ私は、隠されていても“ブラック家の長女”なのだから。
両親の考えなど到底受け入れられないが、立ち位置は分かっている。
けれど、それが想いの妨げになる理由にはならない。
当面の理由は――年齢だけだろうか。
ねえ、アルファード様。
私が色々なことに気がつけたのは、全て貴方のおかげです。
だからこそ、どうか止めてしまわないで。
世界を広げることを咎めないで下さい。
貴方が思っているほど、子供のつもりはないのだから。
END.