―竜を滅せし者―
さわりと風が凪ぐ。
崩れ落ちた神殿の前には何もなく。
ただ、風に木々が音を立てた。
目の前に片膝をついた己の部下から目を離し、
ゼラスは顎にゆっくり手を添える。
数日前、冥王から計画遂行に邪魔な人物がいると聞いた。
もしかすると計画の一番重要な部分に関わりを持ち、
下手をすれば失敗させかねないとも。
「――その者は冥神官、冥将軍と相討ち……か。ふむ……
確かに相当な力を持っていたようだが……」
ゼラスがそう零すと、部下は何も言わずに頭を下げた。
ちらり、とその姿を目にして肩をすくめる。
フィブリゾもこんなに忙しい時に、人員を裂くとは頂けないと
少しだけ不満を持ちたくなる。
だが、自分に関係があるわけでもないと思いなおす。
どちらにしろそんな面倒な人物がいたなら、結局の所、
いつかはこうするべきだったのだ。
長年の計画を潰されるわけにはいかないのだから。
今まさに、大詰めの所で。
「分かった、フィブリゾには私から言っておこう。――どうやら、
また外が騒がくなってきたな。行ってしずめてこい」
下がっていいと手をひらりと振る。
一言返事を残し、部下は再度頭を下げて闇色の虚空へと
姿を消した。
もう一度、ちらりとその場を見るゼラス。
眉を少し寄せて首を傾げた。
自分の気のせいだろうか。
具体的には、どことは言えないが何かが変わったような。
「あいつ……あんな気配をしていたか……?」
数百メートル先に飛ぶ大量のドラゴン達の群れ。
咆哮が轟いて、大気が盛大に震えた。
大小様々な大きさの体躯や色彩をとっくりと眺めていると、
ひとしきり咆哮して両翼をはためかせて、こちらへ飛んでくる。
何度かこの命令を実行してきているが、良くもあれほど
数を集めたものだ。
数秒かそれを見つめたあと、ぴっと人差し指を真っ直ぐ立てる。
腕を伸ばして左から右へ――虚空を薙ぐ。
すると、まるでその線を静かになぞっていくかのように、
ドラゴンたちの間で次々と爆音が上がっていく。
煙を避けてなお突き進む群れに、もう一度。
さらにその後ろを飛ぶ群れに、もう一度。
浮遊した場所からは一歩も動かず。
右腕を払うその動作だけで、彼は己へと向かい来る
ドラゴンたちを次々と倒していく。
命令通り、空中から地上へ “しずめて” いく。
彼は最初から一言も発さない。
淡々と命令を実行する。
ただ、心のない少しの笑みを顔に乗せて。
翼を傷つけた最後のドラゴンを見据えた。
ぴっと軽く指を振ると瞬間、ドラゴンの片腕が飛んだ。
「ぐうっ……ドラゴン……スレイ、ヤー、めが……!!」
その苦々しげな言葉に、彼は初めて肩眉を上げる。
ドラゴンスレイヤー…… “竜を滅せし者” 。
彼の趣味にはあまりそぐわなかったが、やはり何も口にしない。
そのドラゴンはふっと意識を失い、地上へと落ちていった。
それを見届けたあと、彼はふうっと息を吐く。
これでひとまず命令遂行完了だ。
主の元へ戻ろうとすると、その主から声が届いてくる。
『魔王様がお前を呼んでいる。すぐに向かえ』
「分かりました」
行き先を、主の場所からその主の元へと変更する。
場所はカタートの洞窟に作られた神殿の中にある一室。
アストラル・サイドを渡って部屋に降り立つ。
目の前の人物を目にし、肩膝を追って頭を垂れる。
目を細めて、その人物は微笑んだ。
つややかな漆黒の長髪にとても深い紅の瞳。
派手すぎない、落ち着いた赤のローブに身を包んだ若い男。
計画の為に人間の身をそのままにした魔族の王……
赤眼の魔王シャブラニグドゥ。
「さて、ゼラスから多くの報告がきていますよ、獣神官ゼロス。
とても素晴らしい働きぶりですね」
「恐縮です」
「そこで、これを貴方にお渡しします。受け取って下さい。
――これは私の同胞の者たちの力が込められています」
ゼロスは差し出されたものを受け取った。
首、腰、両手首に付けるデモンブラッドのタリスマン。
「異界にいらっしゃる魔王様方のですか?」
「ええ。頑張って下さいね」
「……ありがとうございます、魔王様」
にっこりと笑みを浮かべたゼロスは魔王を見上げた。
そして一礼をすると、立ち上がりその場を辞した。
その姿はただの一人の青年。
肩で切りそろえた暗めの紫髪に、紫苑の相貌。
黒い神官服に、手にした宝玉のついた安そうな杖。
顔に浮かぶのは害のなさそうな笑み。
その姿を見ても、魔王は何も言わなかった。
NEXT.