―その子供―
「そんな――レイ……」
「ま、おう? レイが……魔王だとっ!?」
リオナとガウリスが息を呑む。
ぎゅっと強く杖を握ったルヴィリオは、マントをなびかせながら
目の前に悠然と立っている紅の影を見据えた。
かつてスィーフィードに、その身を分断されし魔王――
ルビーアイ・シャブラニグドゥ。
“伝説” と簡単に言えた頃は、まだ良かったのかもしれない。
目の前で――仲間が魔王だと知らされるよりは。
『――ほう?』
何かに気づいたように、魔王は一同から目を離す。
錫杖を軽く振り、ちらりと木の陰を見やる。
「……っく……おに、ちゃ……」
『なるほど』
地にうつぶせに倒れたまま、ぼろぼろと泣くルイの姿。
その姿を目にして、魔王は肩眉を上げた。
ゆっくりと口に笑みを乗せる。
『おもしろい』
暗い笑みを浮かべる魔王。
ルヴィリオはそれに眉をひそめた。
…… “おもしろい” ?
一体何が “おもしろい” と……?
不可思議な様子に、ルヴィリオは口をつぐんだ。
ぜえぜえと喘いでいるルイを、魔王はじっと見つめる。
『子供よ、我が影響下におかれたか』
「ぅ、くっ……」
『それほどこの子供はこの人間に近しかったのだな』
「っお兄……ちゃ……」
『兄……か』
す、とルイに一歩近づく。
だが、すぐさまその二人の間にルヴィリオが割り込んだ。
眉をひそめたまま、杖を魔王へと向ける。
ルヴィリオの様子に、魔王は興味深そうに目を細めた。
『子供が心配か』
「……ルイに、何をする気だい」
『何を……?』
魔王が妙に不思議な笑みを浮かべる。
それは嘲笑するような。
まるで心底呆れているような。
あらゆるものが混ざったような笑みを。
ルイはぎゅうっと強く胸元を掴みながら、涙でぼんやりと
かすむ視界で睨むように魔王を見上げる。
そして、悟った。
気づいているのだ。
魔王は、自分のことに。
『何を、する気だと? 今更何をするまでもない』
「ど、どういうことよ!?」
魔王の言葉にリオナが叫ぶ。
ガウリスも苦渋の顔でスラリと剣を抜く。
だがルヴィリオは魔王に向かって杖を構え続けながらも、
何故かとてつもない不安に襲われた。
魔王の周りを取り巻く瘴気にあてられたのではない。
何かを、大きなことを見落としている気がする。
それが何なのか。
それは何のことなのか――。
『この子供は、我が意識の残留が植えつけられている』
……今、何を言った?
ルヴィリオたちは言葉の意味を探した。
けれど思考とは別に、ひやりと冷や汗が流れる。
理解は出来ないはずなのに。
魔王の言葉の意味を、理解してしまう自分たちがいる。
そのことに、言葉をなくす。
強く魔王を見上げていたルイの瞳が、瞬間、小さく揺らぐ。
涙の奥の澄んだ瞳が哀しげに。
『よほどこの人間はその子供を大事にしていたのだな。
気づかないか? 子供の身は我が思念の残留に蝕まれている』
はっきりと告げられた言葉。
ルヴィリオたちはついに愕然と立ち尽くした。
「そんな――ルイ、まで……?」
「一体、どういう事だ!! 何故そんなことに!!」
「……今までの体調の不良は……」
『この人間は子供に瘴気を与え続けていた』
うろたえるルヴィリオたちに、魔王はさも満足そうな表情を浮かべる。
世界に満ちた負の感情もまた己に力を与える。
だがこうして目の前に立ち尽くす、か弱き人間たちから
新たな負の感情を得るのは願ってもないことだ。
人間は脆い。
脆いゆえに言葉一つで感情が揺れる。
魔の者に力を与えるのだ。
さらに、魔王は続けようと口を開く。
「――ちが……違うよ」
ぜえっと荒い呼吸と一緒に。かすれた声がその場に放たれた。
はっと、一同はルイを振り返った。
ガタガタと恐怖と苦しみに震えながらも木にすがりついて、
ルイはゆっくりと立ち上がる。
ただ静かに、それを見やるだけの魔王。
「お兄、ちゃんは僕を……むし、ばんでなんか、ないっ……!」
『……ほう? 我がこれ程近くにいても、精神を保てるか』
感心したような声色で魔王はルイを見下ろす。
とたん、ルイの肩がびくりと大きく揺れる。
木を強くつかんでいたはずの手が、急に力をなくした。
「……ぅ、ううっ……!」
「ルイ!!」
我に返ったルヴィリオは、崩れ落ちるルイを慌てて受け止める。
荒い呼吸を繰り返しつつも、ルイは魔王を睨む。
「おに、ちゃ……お前が……お前が、けし、たんだ……っ!」
『……ふ……ならば、兄の元に行かせてやろう?』
「うぁっ……!」
魔王はルイに向かって錫杖を向けた。
ドクリ、と脈打つ鼓動にルイは目を見開く。
いやだ、いやだ、いやだ―― !!!
酷い頭痛の中に、優しく微笑む兄の姿が刹那、よぎった。
NEXT.