―色彩―
これは、油断。
今のこの状態ではまさにそれだけしか、当てはめられるべき
単語が他にはないだろう。
まさかあの強烈な浄化に直撃されてなお、最期の最期を
掴み取れるとは微塵にも思っていなかったのだから。
直撃されていない自分も、束縛されたほどの力。
そう思わない、そう思えない方がおかしい。
―― ……ちっ、やはり動けないか……。
腕を動かそうとしたゼロスは、苛立たしげに内心舌打ちする。
呪縛だけががこもっている虚無の刃。
急激に闇を増して、自分へと迫ってきた。
未だに浄化の余波が解けきれない状態では、襲い来る
虚無を完全には受け止められないだろう。
ただの人間ならば消滅する虚無の力。
高位魔族のゼロスなら、ある程度のダメージだけで済む。
とはいえ、あれ程の力を混められた虚無ならば一時的にでも
物理的干渉が出来なくなるかもしれない。
――ちっ……。
もう一度、ゼロスは舌打ちをした。
ほんの数日前、主が造り出したのは己の名の半分を与えて
“ゼロス” と名づけた “自我” 。
他の将軍なども造らず、全てを籠めて一人だけを造った部下に
相応に蓄えられた力を与えられている。
だから “獣神官ゼロス” は、他の神官も将軍も寄せ付けない。
――我が名は、獣神官ゼロス。
無理をして動く必要はない――たとえ束縛されていようとも、
アストラル・サイドに移動することさえ出来ればいいのだ。
そうすれば、あとは空間を渡ってしまえる。
ゼロスは意識をアストラル・サイドへと瞬時に切り替えた。
背後の空間を切り裂いた虚無を見据え――。
ぽたり
何か落ちる音。
いや、こぼれた音。
ぽた、ぽたり
一つこぼれては、もう一つこぼれ落ちる。
こぼれるものは次から次へと溢れて止まらない。
それが水滴だと気づく。
深色の水滴。
水滴をこぼす線が緩やかな円弧を描き、穏やかな微笑みが現れた。
風に流れる、肩で切りそろえられた黒髪。
澄みきった紫苑の双眸。
しかしそこに放つ光は弱々しく、薄くなっている。
「ゼロス?」
「――な………………?」
優しく名前を呼ばれたことに、ゼロスは驚愕を返した。
微笑みはにっこりとしたものになる。
これまで見てきた中で、一番嬉しそうにルヴィリオは笑っていた。
「ふふ……良かった……」
震える指先から杖が離れて、からんと地に落ちた。
そしてまたこぼれる鮮やかな紅の水滴。
水滴がこぼれるのは口はしからだけではない。
肩や背中などからも伝って落ちる。
ぽたり、ぱたり
落ちる水滴はいつしか水溜りになった。
鮮やかすぎる血の水溜りだ。
「間に合ったねゼロス」
「……貴様……は……」
「君が……、無事、で……良かった……」
虚無の刃をその背に直に受けたルヴィリオは、
ゼロスに向かって嬉しそうにそう言った。
NEXT.