その報告は本当に突然だった。
執務室で溜まった書類を片付けている時。
返事も待たずに慌しくエイミィが駆け込んできて。
訝しげに首を傾げた僕に、叫んだ。
「なのはちゃんが墜ちたの……っ!!」
面会終了時間を告げられたフェイトは、見るからにしょげた。
その様子に思わずくすくすと笑ってしまったなのはは、顔を赤くした
フェイトに怒られるフリをされてひょいっと肩をすくめるフリをする。
はやてもそれを微笑ましく見たあとで腰を上げた。
「ほんなら、また明日来るよ、なのはちゃん。ああ、そや……リハビリが
始まるのはいつからやったっけ?」
「あ、リハビリは次の検査で怪我が完治してたら、すぐにでも。
……忙しいんだから、本当に無理しないでいいんだよ、2人とも」
「何言ってるの……なのは。来たいから来てるんだよ」
苦笑するなのはに、フェイトは真面目に答える。
それには、はやても深く頷いて賛同した。
「フェイトちゃんの言う通りや。私ら、親友やないの!」
「うん、そうだね。ありがとう」
「……それに明日はヴィータも来れると思うで」
「本当に? 嬉しい」
一瞬だけ間をあけたはやての言葉。
それになのははちゃんと気がつきながらも、笑顔を向けた。
もちろんはやても、そのことに気づいている。
「ほな、ゆっくり休んでな」
「おやすみ、なのは」
互いに手を振り交わしてからドアが静かにしまる。
2人の足音が聞こえなくなって、なのはは小さく溜息をついた。
自分が墜ちてから今日で約2ヶ月が経とうとしている。
その間、ヴィータはなのはの見舞いには来なかった。
いや、この場所には来ている。
どうしても、どうしても病室の中には入ることが出来ずにドアの前で
立ち止まってしまうのだ。
なのはが墜ちた時、唯一その場にいたヴィータ。
酷く狼狽した叫び声をなのはは覚えていた。
ヴィータは、なのはが墜ちたのは自分のせいだと信じている。
けれどそれは、誰のせいでもない。
なのはの今までの攻撃系統が、問題だっただけだ。
未熟な身体で何度も撃った魔力収束砲撃。
そんなことがいつまでも耐えられるわけがなかった。
蓄積されたダメージが作った、ほんの一瞬の隙。
だから、墜ちた。
ベッドサイドのテーブルの上には、広げたハンカチに静かに乗せた
待機モードのレイジングハート。
なのはを庇ったパートナーの彼女も、酷いダメージを受けた。
それでもレイジングハートは、なのはを今なお支え続けている。
リンカーコアが多少のダメージを受けただけで済んだことは飽きるぐらい、
本当に奇跡だと言われたほどだ。
「……レイジングハート」
『What is it?』
なのはの声に、レイジングハートはすぐに答える。
心配げに聞こえるその返事に、小さく謝った。
「…………ごめんね」
『I got tired of hearing the apology. I must apologize.』
「それこそ聞き飽きた、ね。うん、弱音はいても始まらないもんね。
また一緒に一から初めてくれる? レイジングハート」
『I'm your partner forever. My master.』
「そうだよね」
レイジングハートの優しい返事に微笑むなのは。
けれどレイジングハートは言葉を続けた。
『But master.』
「うん?」
『The master should say a complaint. Mr, Kurono entrusts you.』
それだけ言うとレイジングハートは黙り込む。
なのはが、はっとなって振り返る。
いつのまにか、ベッドの横にクロノが静かに立っていた。
一瞬顔をこわばらせたなのはだったが、すぐに笑顔を向ける。
「――も、もう、クロノ君たら……びっくりさせないでよー! 心臓が
止まるかと思っちゃった! 駄目だよ、面会時間はとっくにすぎて」
「心臓が止まるかと思ったのは僕の方だったよ、なのは」
低い声で呟かれる言葉に、なのはは声を詰まらせる。
見舞いに来れなかったのはヴィータだけではなく、クロノもだ。
クロノの場合はヴィータのように自責の念ではなく立場上の都合だ。
責任感の強いクロノが仕事を抜け出して見舞いに来れるはずもなく、
また仕事が一段落ついても、面会時間が終わっている事がほとんど。
クロノが病室に足を踏み入れたのは、これが初めてだった。
そっとクロノがなのはの手を取る。
びくりとなのはが震えた。
「……すぐに、来れなくて悪かった……」
「な、何言ってるの、だって、クロノ君は」
「なのは」
「……っ……!」
ぼろっとなのはの目から大粒の涙がこぼれる。
それが合図だったかのようにして、クロノはなのはの身体を
優しく胸に引き寄せた。
「……遅いよっ」
「ああ」
「ま、待ってたんだからっ」
「ごめん」
「クロノ君なんか、クロノ君なんかっ……」
「なのは……」
イラついたように胸を叩くなのはの手には、力が入らない。
クロノは強く、それでもこれ以上傷つけないようにしてひどく優しく、
なのはを両腕に抱きしめた。
震える拳をもう一度クロノの胸に叩きつけ、なのはは叫ぶ。
「怖い、怖い!!」
「ああ……」
「もう飛べないかも、しれなくて、一生歩けないかも、だし!!」
「ああ……」
クロノにはなのはの苦しみが分からない。
なのはにはクロノの苦しみが分からない。
歩けない人生の苦しさならば、はやてが分かるだろう。
大切な人を失う苦しさならば、フェイトが分かるだろう。
それでも二人は互いを理解したかった。
「なのに、クロノ君いなくて……墜ちたのに失望したって思ったり……
忙しいの、分かってたけど、すごく怖かったよ……っ!!」
「ごめん……これからちゃんと傍にいるから……」
「うわぁあああんっ!」
クロノはなのはをしっかりと抱きしめながら思う。
きっと、リンディにしかられなければここには来れなかった。
エイミィに背中を叩かれなければ、病室に入れなかった。
苦しんでいたのは自責の念ではなく、運命を呪っていたからだ。
もしもなのはが魔法を知らないまま普通に歩んでいれば、
一生に関わるかもしれない怪我などしなかったのだ。
もしもなのはが無茶な収束砲ではない攻撃法だったなら、
身体に負担がかかる事もなかったのだ。
それでもなのはは魔法と出会ったからここにいる。
あの攻撃法だからこそ、今まで乗り切ってきたのだ。
あの時なのはとクロノが出会えた日も。
こうして抱きしめていられる日も。
“今” がなければ、全てなかったのだから。
「大丈夫……なのははまた飛べる。僕たちはまた一緒に同じ空を飛べる。
いつだって全力全開のなのはなら……僕と頑張れるよ」
「うん、うんっ……!!」
「なのは!」
「あ、フェイトちゃん、はやてちゃんに、ヴィータちゃん」
翌朝。
午後になってしばらくすると、三人が病室にやってきた。
けれどヴィータだけが、また病室の前で足を止めて俯いてしまう。
フェイトが困ったような顔をして、はやてが意を決してヴィータに
声をかけようとしたのだが、なのはがそれを止めた。
「ヴィータちゃん」
「っ……!」
なのはの声に肩を揺らすヴィータ。
「午前中の検査でね、先生に花丸オッケーもらえたの。明日から
リハビリ始まるんだ」
「そ……そか……」
「私、リハビリって全然分からないんだよね。だからフェイトちゃんと
はやてちゃんと一緒に、ヴィータちゃんも手伝ってくれる?」
「え?」
驚いて顔をあげるヴィータに、なのはは微笑む。
墜ちる前と同じ笑顔に、思わずヴィータの顔がくしゃりと歪んだ。
そして病室に駆け込んでなのはに抱きついた。
「……任せとけっ!!」
「うん、任せた!」
今までの緊張がほどけたのか、涙が止まらなくなってしまって
狼狽するヴィータ。
苦笑するはやてがなだめているのを思わずくすくすと笑って
フェイトは眺めていたが、ふと顔をなのはの方へ向ける。
「そういえばなのは……今小さく流れてるメロディって……」
「うん、S2U だよ。今朝ね、クロノ君が来て置いていってくれたの。
自分にはデュランダルがあるからって」
「……そっか。良かったね、なのは」
「うん!」
病室に静かに流れ続ける、穏やかなメロディ。
心が傍にあることを、なのはは確かに感じられた。
END.