静かにキーボードを打ち、流れる文字を目で追っていると、
玄関の方から何やら物音がした。
それは物騒な音ではなく、鍵を開ける音。
以前ならそれさえも警戒していたはずなのに、今はその音に安心する
自分がいる。
今と昔のギャップには自分でも多少驚いてしまうが、同時に、
嬉しさも感じることが出来ていた。
ファイルを保存して、ノートを閉じる。
静かに立ち上がってリビングへと移動すると、疲れたように
ドサリと椅子に沈む背中が見えた。
それにふと、微笑んだ。
「お帰りなさい。コーヒーでも飲む?」
「あ、悪ぃ……起こしたか?」
「書類作成してたわ」
「そうか。ああ、飲む」
キッチンにあるコーヒーメーカーから彼がいつも使っている
マグカップにそそぐ。
さきほど休憩した時に作っておいたものだから、コーヒーは今や
ちょうどいい熱を持っている。
ついでに自分のマグカップにもコーヒーをそそいで、トレーに乗せて
リビングへと戻る。
彼はきっちりしめていたネクタイをはずしている所だった。
「はい」
「サンキュー。お、ちょうど良い熱さだな」
「ええ、私もそう思うわ」
彼の隣に私も腰かける。
「で、また事情聴取に付き合ってたの? 探偵さん」
「お前な……違うっつーの」
彼は大げさにため息をついて肩を落とした。
そう言っても不思議じゃないでしょう?
あなたはどんな事件でも最後まで真相を突き詰めて、全ての真実を
明らかにしようとするのだから。
この前の事件にも、彼は最後まで事情聴取に付き合っていた。
……まあ、彼が言うには引き止められたらしいけれど。
確かに昔から何かと付き合いのある刑事さんじゃ、そう言われると
断れないのも分かるわね。
彼が世間から身を隠していた時にも、何かと協力はしてくれたのだし。
そうしなければならなくなったのかが明かされた時は、
真実を知らなかった人達は唖然とするやら、呆然とするやらで、
とても大変だったのだけれど。
「これ、買ってきたんだよ」
「あら? 珍しいわね。何を買って……え?」
彼は仕事を終えた後は寄り道をしない人。
急に用が入ってしまった時はきちんとメールを寄こす。
始めは思ったより律儀だと思わず笑ってしまった。
そんな彼が、何も言わずに買い物だなんて。
珍しさに振り返ると、ふいに軽く手をとられた。
そしてはめられる冷たいもの。
目が勝手に大きくなる。
「……ゆ、指輪……?」
「……だってよー、お前、式とかあげなくてもいいとか言うし。
だから何だかんだでこういうの、真面目にプレゼントしたこととか
ねーだろ? だからクリスマスにかこつけて、な……」
どことなく顔の赤い彼は、少し顔をそらしてそう言う。
事件や真実に対して、ひどく律儀で誠実であり、どこまでも真っ直な彼は、
まるで噂の怪盗に似てるぐらい、ここぞという時にはとってもキザ。
でも、こういうプライベートな事に関しては、ルーズでとても照れ屋。
それにぶっきらぼうでもある。
「クリスマス、ね……過ぎてるわよ」
「え」
壁の時計を指差すと、彼はぎしりっと硬直する。
時の針はすでに深夜一時を回っている。
今日はクリスマスの25日ではなくて、すでに26日。
頬が少し熱くなる。
式はしなくてもいいと確かに私は言った。
彼には知り合いが多くてそれこそ大勢の人が呼べるけれど、比べて、
私は親でさえ呼ぶことが出来ないから。
もちろんそれだけが理由じゃない。
彼の隣に立つことが、今でも信じられないからでもある。
彼には一番大切だった幼馴染がいた。
その幼馴染をいつも泣かせないようにしていた。
幼馴染も彼の事をいつも一番に思っていて――けれど、今こうして
彼の横にいるのは、私だから。
本当に私を選んで良かったのか分からない。
私と暮らすことを求めてくれた時は本当に嬉しかった。
でも、それが彼にとって良かったことか、今でも私は分からない。
それなのに、指輪なんて。
「……だああああ……っ! せっかく車すっ飛ばしてこうして
帰ってきたのに……チクショー!」
「ふふ、似合わない事するからじゃない?」
「ったく……言ってくれるぜ……」
恥ずかしさにむくれる彼に、くすくすと声がこぼれる。
時々、私でいいのかひどく分からなくなるのに。
そのたびに、彼は道を示してくれる。
隣にいていいのだと。
「まあ、せっかくだから貰っておいてあげるわよ、江戸川君」
「おまっ……マジで冗談キツイぜ……灰原……っ!」
「嘘よ。ありがとう、新一」
「……ぜってーなくすなよ……志保」
「もちろんよ」
後ろから回されてくる腕に私は見つけた。
その左手の薬指に、私の左手の薬指と同じ指輪。
END.