※願叶主人公
9月1日。
ハリーはホグワーツへと戻り、就職活動のリーマスは1週間ほど
家を空けることになり、家にはハルカとシリウスのみとなった。
出かける前に残していったリーマスの笑み。
ハルカは頭から振り払おうと頑張ってみたものの、心の底で疑念に
思っていたことが絡んでいるからこそ、振り払うことが出来なかった。
ソファに背をもたれかけて、深く溜息をつく。
「……はあ……」
「ハルカ? どうかしたのか?」
「わっ」
上から声が降ってきて、ハルカはびくりと肩を震わせる。
おそるおそる上を見やると不思議そうな顔をしたシリウスが、後ろから
覆いかぶさるようにハルカの顔を覗き込んでいた。
「び、びっくりさせないで、シリウス」
「悪い悪い。でもどうした?」
「何でもないよ? コーヒー飲む?」
「ああ、頼む」
キッチンに行き、戸棚からシリウス用のマグカップを取り出しながら、
頬を染めてハルカは口元をおさえる。
「 (し、心臓に悪い……!) 」
温まっていたコーヒーメーカーからコーヒーを注ぎ、ついでに自分用に
カフェオレを作ってリビングに戻る。
シリウスはソファに座り、バイク雑誌をめくっている。
その肩の上にはタオルが簡単に引っかかっており、ひとつにくくられた
長い黒髪からは雫がぽたぽたと滴っていた。
「また拭いてない。風邪引くっていつも言ってるのに!」
「ん? んー」
テーブルにマグカップを置いたあと、シリウスの横に座ったハルカは
少しだけ顔をしかめながらタオルを手にとり、髪を間に挟むと優しく叩く。
最初はボサボサで痛んでいた、シリウスの長い髪の毛。
小奇麗にしろとリーマスに言われ、ハルカがばっさりと切ったあと、
わざとなのか不精なのかシリウスはまた伸ばし続けている。
元々が良い髪質なのだろう。
痛みにくくサラサラとしている髪が、ハルカはとても気に入っている。
けれど、シリウスはまったくの無頓着。
ハルカとしてはもう少し気を使ってほしい所だった。
もちろん、風邪を引いてほしくないのも本心だが。
「ハルカ、カフェオレ冷めるぞ?」
「こっちが優先!」
苦笑しながらシリウスがマグカップを指差す。
振り向こうとするがハルカは断固としてタオルを離さない。
――シリウスとしては、これが望みでもある。
実はシリウスは、ハルカが自分の髪を気に入っているこよを知っていた。
わざと濡れた髪を拭かずに、バスルームから出てくる。
そうするとハルカはすぐに自分の所に来て、髪を拭き始めるのだ。
自分のために一生懸命してくれること。
それを一番実感出来る行為を、シリウスはいたく気に入っていた。
すぐにシリウスの企みを見抜いたリーマスには 「甘えすぎだ」 と呆れられ、
ハリーには 「子供みたい」 と楽しそうに笑われたが。
しかし、シリウスはしばらくやめる気はなかった。
心配してくれるハルカの気持ちを実感できて、なおかつ幸せを
感じられるのだから。
「はい、おしまい!」
「ありがとな。カフェオレ、淹れなおすか?」
「大丈夫! ちゃんと熱いの淹れてきたから今は飲み頃」
「はは、なるほど」
ソファに座りなおしたハルカは、マグカップを手に取って一口飲む。
熱いカフェオレはとても飲みやすい温かさになっていた。
この前もシリウスの髪を拭いているうちに、紅茶が冷めてしまったのだ。
いちいち淹れなおすのが面倒で、熱めに淹れてみたのが良かったらしい。
「 (次もこうしよ! シリウス……どうせ拭かないんだろうし……って
……あっ……!!) 」
マグカップを置いたハルカは今の状況を思い出す。
ソファにシリウスと一緒に座っている。
しかもハルカは背もたれでなく、シリウスに寄りかかっていた。
そしてシリウスは当然であるかのように、ハルカを受け入れている。
あまりにも無意識の行動に、恥ずかしさがこみ上げてくるハルカだったが、
急に離れたらシリウスが怪訝に思うだろうことに気づく。
ハルカはどうにも、動けなくなってしまった。
リビングにはあいかわらずバイク雑誌をめくる音が響く。
時計の小さな音、そして時々コーヒーを飲む音。
ゆっくりと肩の力を抜いてハルカは、今朝、リーマスに言われたことを
思い返す。
“そういえば君たちはキスしてないね?”
おはよう、おやすみ。
そういう挨拶のキスならハルカもした事はある。
リーマスにもハリーにも、もちろんシリウスにも。
――頬にだが。
けれど、シリウスにはハルカからされたという記憶はない。
何故ならシリウスは朝に弱く、寝ぼけていることが多い。
そういう時にされていて、夜は眠ったあとにされているのだから。
シリウスからハルカに対しても、やはり頬か額。
つまり。
ハルカとシリウスは本当の意味でキスをしたことはなかった。
横に温かな体温を感じながら、ハルカはカップを持つ自分の手を見やる。
いつもの通り、そこにあるのは子供の手。
ほとんどの時を13歳の体で過ごしてきたハルカにとっては、ある意味、
子供の姿は“普通” であり、違和感など感じることがない。
薬や魔法で成長した姿でも同じだ。
子供でも大人でも、れっきとした自分の体なのだから。
むしろ、それで楽や得をした部分もあった。
けれど子供の姿は、時にネックにもなる。
特に恋愛感情が――シリウスとの関係が絡んでくると尚更。
ハルカには分かっている。
リーマスの言う就職活動など “ついで” なのだ。
誰の目をも気にすることなどなく、ハルカが行動を起こせるようにと
最初から取り計らってくれていたのだ。
そして、今朝言われた言葉さえも。
気づかれないようにしながら、ハルカはおそるおそる目線をシリウスの方へ
移してみる。
シリウスの目は未だにバイク雑誌に注がれている。
割り切っていたつもりだった。
受け入れていたつもりだった。
ハリーをかばって、左腕に傷を受けた行為を後悔してはいない。
成長しなくなった体は、この世界に来れた代価だと思った。
命すら助かって、それぐらいなら何て安いものだとも思ったのだ。
姿で好きになったのではない、というシリウスの言葉を聞いた時、
本当にハルカは泣きたいほどに嬉しかった。
だからこそ、ネックになるのだ。
「 (ここで勇気出しちゃえば……吹っ切れるの、かな?) 」
ぐぐっと眉をひそめながらハルカは思う。
左手の指輪を眺める。
これをプレゼントしてくれた時の、シリウスの想いを、言葉を、
本当の意味で自分のものに出来るのだろうか。
出来るのなら――。
「 (お……女は度胸!!) 」
ぐいっとカフェオレを飲み干し、ぎゅっとハルカは左手を握った。
「…………っ! シリウス」
「何だ? っ――!」
呼び声に、すぐさま振り向いたシリウス。
肩に手を置いたハルカはぐっと顔を寄せ。
――唇をあわせた。
それは音さえしない一瞬の軽いキス。
ゆっくり見開いた灰色の瞳。
いたたまれなくなったハルカは立ち上がる。
「お、おやすみっ!!」
真っ赤に燃え上がる顔を片手で隠しながら、脱兎の勢いで2階の部屋へと
走り去ろうとしたハルカ。
しかし、急に後ろへバランスを崩して倒れこむ。
力強い2本の腕に、腰をがっちりと後ろから捕まえられたことに気づき、
思わずハルカはじたばたと暴れた。
「やっ、やだ、シリウス、やだ、離してっ」
「嫌だ。断る。」
「うううううううーっ」
「ハルカ」
逃げられず、恥ずかしさで泣きそうになるハルカ。
力強く後ろから抱きしめられて、余計に顔が赤くなった。
耳元で低く名前をささやかれて肩を震わせる。
抵抗すればするほどにシリウスが頑ななになると悟り、ようやく逃亡を
諦めたハルカは、おとなしく腕の中へとおさまった。
「分かってるのか、ハルカ?」
「……何が?」
「俺は、ハルカがそういうスキンシップに慣れるまでは……絶対に、
何もしないって決めてたんだぞ」
「え?」
思ってもいなかった言葉に振り向こうとしたハルカだったが、
それをさせないようにシリウスの抱きしめる腕の力が強くなる。
「慣れないうちに何かして……怖がられるのは、ごめんだったからな。
だから、ハルカが慣れるまで俺は何もしないと決めてた」
「そう……だったんだ……」
「――止まらなくなるぞ」
シリウスの声が唸るように低くなる。
「俺はこうして……ハルカと一緒にいられるだけで幸せだったんだ。
何もなくても傍にいるだけで、俺は本当に幸せを感じることが出来る。
だがこれ以上は、もっと幸せがほしくなる。幸せを、感じたくなるんだ。
俺はもっとハルカに近づきたくなる……止まらなくなる」
「……シリウス……」
「嫌なら、今言ってくれ。さっきの不意打ち――かなり効いたぞ」
「あ……」
呆然と呟いたハルカに、シリウスは少し自嘲した笑いをこぼした。
それはまるで、自分の欲望の醜くさをさらけ出したような。
ハルカはようやく心の中に、ストンと何かが落ちた音を聞いた。
じわりと目じりに浮かぶ涙。
先ほどのようにそれは恥ずかしさからでなかった。
「シリウス」
「…………ああ」
「ありがと、そこまで想っててくれて」
「分か――は……?」
間の抜けた声とともに腕の束縛が緩む。
その隙にハルカは振り向き、もう一度キスしてみせた。
今度は先ほどのように一瞬でなく。
唇を離してシリウスの顔を見やってみれば、ぽかんとした顔。
ハルカは思わず笑みを浮かべた。
END.