「……ふむ、よかろ。今日はここまでじゃ」
「ありがとうございました」
琳音が茶家の養女になってから数日。
知識は小説や朔洵の持ってきた本で少しは補えたものの、
まだまだ一般教養には追いつかずにいた。
何せ采を作ろうと台所に行ったとしても、米を炊くのは釜、
塩や砂糖などの調味料も存分になく、まして冷蔵庫のような生ものを
入れておける便利なものはない。
しかも簡単な買い物を頼まれたとしても、通貨単位こそがまったく
違うのだから、どうしようもないのである。
だからこうして琳音は英姫の元、せっせと熱心に一般教養と、
娘として備えておくべき礼儀作法の勉強をしていた。
もちろん茶家の人間として恥ずかしくないためでもあるが。
その際、琳音は英姫だけに正直に自分の生い立ちを話した。
英姫は目を閉じて全てを聞いていたが、話の全てを否定することも、
疑心を持つこともなく受け入れた。
「……琳音」
「はい」
「これから克を呼んできて欲しいのじゃ。話があるのでの」
「分かりました」
琵琶を片付けていた琳音は、その言葉に頷く。
全ての片付けを終えると一礼して、部屋を出て行こうとする。
そこを、英姫が止めた。
「……琳音」
「はい、何でしょうか?英姫様」
「すまぬのじゃが……しばしの間、勉強と稽古は休みとする。紅州牧たちと
一緒にいやれ。――私は克と春姫の様子を見なければならぬ」
その言葉に、琳音はギクリとする。
春姫があの場で“声”を使ってしまったということは、縹家は
とうに気づいているという現実を意味するのだ。
小説でこの先に何が起こっていくかを瞬時に思い出し、琳音は
少しだけ眉をひそめてから、一礼する。
「分かりました。何とぞ……ご無理をなさらず」
「うむ」
茶家の邸を出て溜息をつく琳音。
そこに、ぽーんと大きな声がかかってきた。
「あれー、琳音姫じゃん。こんな所で何やってんの?」
「……燕青。久しぶりね」
にこりと笑いかけると、倍返しの笑顔が返ってくる。
快活な笑顔に、少しだけ固くなっていた心がほぐれた琳音は
肩からほっと力を抜いた。
「久しぶり。で、どうしたんだ?」
「英姫様がしばらく克洵兄上たちの様子を見るらしくて、私はその間、
秀麗たちと一緒にいるようおっしゃられたの」
「へえ……? 英姫ばーちゃんにしてはめっずらしいこともあるもんだなあ。
あ、それならもうすぐ昼餉の時刻だし、何か食ってから州府に行くってのは
どうだ?」
「え? でも……いいの……?」
「俺がオゴるって。 あ、もちろんツケじゃないからなっ!!」
慌てて訂正する燕青。
その表情はとても真剣で、必死で。
思わず、琳音はくすくすと声をたてて笑ってしまった。
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