――お祖父様を、つれてきてあげる。
闇が、蠢き始めた。
いつまでも傾かない克洵に、強硬手段に出たのだろう。
させない。
あの優しい克洵兄上を、少しでも操らせてたまるものか。
たとえ最終的に、克洵が手を染めてはいなかったのだとしても。
咄嗟に、琳音は畳んだ着物の上に置いていた香炉を取ると、
思いきり振りかぶって、格子の外へと投げつけた。
香炉は高い音を立てて砕け割れる。
閉じられた牢の中に、むせ返りそうなほど甘い匂いを漂わせた。
朔洵が琳音をここに閉じ込めた当初、本や着物や小物と一緒に、
香なども持ってきたのだ。
香炉の中にあったのは、春姫が好んでよくつけているという香。
好き勝手に色々と、座敷牢に投げ込んでいった朔洵の遊びの行為に、
今だけは少し、琳音は感謝した。
「……しゅ、んき……春姫……?」
「兄上! 気づいて、克洵兄上っ! ちゃんと前を見てっ!!」
――本当にうるさくて生意気な小娘だね、お前は。
叫ぶ琳音のすぐそばで、声がした。
瞬間、ぎりっと強い力で首を絞められる。
体勢を崩した琳音は、どさりと床へ倒れてしまった。
「かはっ……」
――お前は先に死んでおいで。
「あ……っ、……が……っ」
痛みと苦しみに見開いた目の両端から涙が溢れてこぼれ落ち、
口はしから泡が伝う。
虚空がぐにゃりと滲んで霞み、ぐらりと昏くなっていった。
気づいたのは、何かが争うような声と物音。
死んだと思ったのか、抵抗されないことがつまらなくなったのか。
いつのまにか琳音の首は、闇から解放されていた。
上手く目を開けられなかったが、琳音は格子の向こうのそれを見た。
短刀を握った男が老人に刺され――老人を刺し返す所を。
男の背後で力なく座り込んでいた克洵も、信じられないというように
青ざめながらそれを見入っていた。
きつい鉄の匂いが、香の中にゆっくり混ざっていく。
崩れ落ちた男を睨みながら、老人は後ずさる。
「……の、ごときに……!」
老人は座敷牢からよろめきながら出て行った。
克洵は、震える手を男に伸ばす。
「――ち、ち……うえ……父上……父上……っ」
大切な息子を護るため、最後の最後で狂気から意識を取り戻した人。
これが本当の親子というものかと、琳音は心の底から思った。
育ててくれた院長先生や、面倒を見てくれた兄。
彼らに、自分は何かを返すことが出来ていただろうか。
慕ってくれる幼い弟妹たちに、何かを教えることが出来ただろうか。
私は、孤児院の家族になれていたのだろうか。
本当の家族だと、言ってくれただろうか――。
NEXT.