「むかつく」
ああ、言い出してしまった。
こうなってしまったらしばし止まらない。
彼がその名で呼ばれる由縁。
彼がその名を捨てたい由縁。
彼がその名に親しんだ由縁。
だから私は口を挟まない。
挟んだ所で、それはただの緩い慰み。
「……久しぶりだな、こんな感情」
いつものようにソファに横たわっている。
ぼんやりと虚空に視線を放りながら。
ゆるりと緩慢な動作で、右腕をあげて手を見つめる。
正確に言えば腕ではなく、その先にある手首の方だろう。
痕は残らぬ細い場所。
「昔は頻繁に感じてたんだけどな、こういうの」
聞いてほしいから口にするのではない。
答えてほしいから口にするのではない。
口にするのは己を戒めるため。
戒め、痛め、傷つける。
心を、魂を、自身の言葉で貫く。
そうすることで己を律していられると思っている。
やり場のない憤りと、行き場のない苦しみに。
その手首に痕をつけたように。
「こんなとこで久々に落ちるとはな」
裏に潜む表情が出ないように縛るためにしている。
顔にでなくても、言動には出てしまう矛盾。
首をしめるかのように手首を握る。
己を嘲笑している瞳に宿る冷徹と侮辱の色。
悼まないと信じているのだ。
そうしていることに、誰も気づかないと思っているのだ。
言葉で言えば余計に嘲笑するだろう。
馬鹿にしているのかと。
呆れてものが言えないと。
哀れみなどいらないと。
笑えばいいと。
蔑めばそれでいいと。
感情が宿る瞳と感情の宿らぬ顔で。
刃があるものが近くにあるならば手にするだろうか。
それとも手にして見やってから捨てるだろうか。
「……んで…こんなとこ……」
死を望むものには望んだ死はやってこない。
生を諦めたならば諦めた生はありつづける。
「くそ……」
右腕で顔を隠して小さく呟く。
「………………てぇ」
END.