「これをお願い」
薄暗い裏通りの片隅で経営している書店に、
多く訪れるのは良くも悪くもマニアめいた者たちばかりである。
何せ取り扱っている多くが、世間では 『禁書』 と呼ばれる本なのだ。
だが、カウンターの向こうにいるのは、まぎれもなく十歳ほどの
幼い少女である。
少女がカウンターに置いたのも、まさに 『禁書』 の一部。
それも、この店で五指に入るほど貴重なもの。
「……お客様――」
「何かしら?」
少女の澄んだ瞳が、真っ直ぐに主人を射抜く。
睥睨するのでも、威圧しているのでもなく、ただ、真っ直ぐに。
「これで足りるわね」
少女は、数枚の紙幣をカウンターに置く。
主人がゆっくり頷くと、少女は本を腕に抱えて店を出た。
静かに店のドアを閉めた少女は、おもむろに目線を真横へと向ける。
いつのまにか少女の隣に、気配もなく、薄く笑みを浮かべた男が
立っていた。
本を抱える少女の肩に、男は優しくショールを羽織らせる。
「お嬢様、お風邪を召されます」
「ありがとう」
少女は男を軽く睥睨した。
そして、腕に抱えた分厚く古めかしい三冊の本を示す。
「けれど、一緒に本を受け持つのではなくて?」
「お言葉ですが、お嬢様。私が以前そうした所、お屋敷につくなり
『今後一切、お前には本を持たせない』 とおっしゃられたのですが」
「あれはお前が悪いの」
きっぱりと言い切った少女は、本を抱えたまま路地を歩き始める。
男も歩幅一歩分ほどあけて、少女の斜め後ろについて歩む。
藍色のビスチェドレスをまとい、黒髪をきっちりとツインテールに
まとめた十歳ほどの少女と、灰色の燕尾服を着こなす若い男の
二人連れはとても目を引きやすい。
けれど路地裏のひっそりとした薄暗さが、二人の異質さを薄めていた。
しばらく無言で歩いていると、男が先に口を開く。
「私には何度考えても、お嬢様にお叱りを受けるような覚えはないのです」
「あいかわらず、お前は愚鈍ね」
「申し訳ございません」
反省しているのかしていないのか、よく分からない声色で男は謝る。
溜息をついた少女は、前を見て歩いたまま男に言う。
「あの時、お前は……」
――ふいに。
少女が立ち止まる。
立ち止まった少女の横を素通りした男は、一歩前で足を止める。
薄暗い路地の向こうに、人影がある。
『みつけタ、アフィーネ……みつけタ……』
ゆらりと身体を揺らしながら近づいてくるのは、女。
歩くたびにさらりとなびく美しい銀髪が、女の魅力を引き立てている。
けれど、その表情は狂気じみた笑みに彩られていた。
「残念ね。その醜い微笑みがなければ、とてもお美しいのに」
心からの、かけねない憐憫に満ちた少女の言葉。
男は静かに口元を押さえた。
「ロリック、笑う所ではなくてよ」
「……申し訳ございません。微笑みを浮かべていなくとも、歪んだ
お心を持っておられるのならば、最後には悟られてしまうものだと、
つい考えてしまいました」
「お前にしては、珍しく道理な言葉ね」
「ありがとうございます」
二人の会話に女の笑みが消える。
歯をむき出し、少女に向かって走り出す。
肩をすくめた少女は男に本を押し付けると、軽く地を蹴って虚空へ飛ぶ。
突進してくる女の頭上をひらりと越えて、優雅な動作で着地した。
もちろん、ドレスを少しも汚さないように両手で軽く裾を持ち上げて。
女は目標を見失って、男へと向かう。
「ロリック、本を汚したら、お前は解雇するわ」
「分かりました」
男は両腕でしっかりと抱えていた本を、バランスよく左手に乗せる。
腕を真っ直ぐに伸ばして自分の体から出来るだけ遠ざけると、
向かいくる女の腹部に、渾身の蹴りを入れた。
血反吐を吐き、女は吹っ飛ばされる。
それは少女の方向。
「ロリック、今月は減給よ」
「申し訳ありません」
少女は自分の足元に倒れた女を見下ろし、ピンヒールの先で女の胴を踏む。
それだけで、何故か女は動けなくなった。
醜く歪んだ顔が青ざめ、恐怖に彩られていく。
夕焼けから夕闇に変わるようなその様を、うっとりと少女は眺めた。
「色合いは特に美しいわ。小川のように流れる銀髪、透き通るような
碧の瞳。最近は特に見かけなくなってしまった色ね。わたくしの
モノになるために来てくれたの?」
くすくす。
「けれど、そのままでは駄目よ。噂に頼り、わたくしの血肉を
欲しがっても駄目。永久に美しくなりたいのなら、簡単な方法が
あるのよ」
少女は楽しげに笑う。
「ロリック、教えてあげるわ。お前に本を持たせたくなかった理由」
「はい、何でしょうか?」
「あの時、お前は、コレクションを本で殴ったのよ」
男は目を瞬き、以前のことを思い出してみる。
――そうだったかもしれない。
「確か、角を使いました」
「そうよ。お前は貴重な本を使って、しかもわたくしのモノにまで傷を
つけたの。あれの修理にはとても手間取ったのよ。しかもロリック、
お前はその時、一緒に腕まで千切ったでしょう」
「……お嬢様に頂いたこの身体、ぞんざいに扱ってしまい、
申し訳ありませんでした」
「謝罪はもういいわ」
少女はふわりとしゃがみこむ。
「わたくしのコレクションは、美しくあればこそ、とても価値が
あるのよ、ロリック」
「もう傷つけることのないよう細心の注意をはらいます」
がたがたと震える、女の滑らかな頬をするりと撫でた。
女の胴へ、じわじわと細く鋭いピンヒールがめり込んでいく。
少女は子供らしくも、それはそれは美しい笑みを浮かべ。
ピンヒールの下で徐々に冷たくなっていく、美しい女の姿を眺めた。
これでまた一体、屍体 (コレクション) が増える――。
本を受け取った少女は、上機嫌で歩き始める。
男が傷つけないように抱える美しい女を、どう飾ろうかと考えて。
END.