“ TricK or treat! ”
10月31日――ハロウィーン。
……最も、その名は下界で行われる催事であって、
特に“ここ”では何の関係もなく、重要なものでもない。
息子を見守るため、下界を見ることが出来る貰い物の鏡から
ふいにそんな声が聞こえてきて、やおら顔を上げたのは
1人の赤髪の女性だった。
鏡の中には女性ではなく、くしゃくしゃの黒髪をした
眼鏡をかけた男の子が映っていた。
仮装をした子供達がきらきら笑いながら、通りを楽しそうに
行き来している姿を、窓から羨ましそうに見つめている。
少年の姿を切なそうに見つめ、女性は鏡にそっと触れた。
決して届かない距離ではない。
けれど、決して届いてはならない距離。
女性の隣で、ふわりと浮く灯火。
振り返った女性は優しく“それ”に手を添えると、
ゆっくりと巡る時の流れの上に乗せた。
時の流れとも、輪廻の環とも呼ばれる“ここ”を流れ行く川。
流れの上には無数の魂が浮かび、仄かな明りを灯しながら、
次の人生を求めて循環し、生まれ変わっていく。
ここは『冥輪宮』。
元々は、全ての者の母の部下に連なる者が在住していて、
流れる魂を管理している場であった。
しかし、その者は事情により現在は任を外れている。
主がいない所へ、女性の魂を彼の手から預かった全ての者の母は
この女性――そしてその者達の純粋なる願いと想いを、受け止めた。
そして鏡を与え、彼らに仮主になるようにと言い渡した。
輪廻の環を流れ、流れ着く魂を管理し見守る。
――すなわち循廻管理者と。
「あれからもう7年だね」
振り向くと、女性と同じ薄い金色の翼を背中に持った男性が
優しく笑いかけていた。
鏡に写っている男の子と同じくしゃくしゃの黒髪をふわりと
なびかせ、眼鏡をかけ直しながらどこか悪戯っぽく笑う。
そんな姿はずっと変わらないのだと、女性は思った。
「ええ、そうね」
男性から淡く光る魂を受け取る。
もう一度時の流れに乗せて、女性は静かに笑った。
“ Trick or treat! ”
鏡からは、まだその声が聞こえる。
「悪戯か……。懐かしいな、今ではやる暇がないよ」
男性はそう軽く言って微笑すると、鏡が映す人物を変えた。
1人は暗い牢の中、伸びた黒髪とともにうつむく男性。
1人は紅茶を飲む、鳶色の髪をした少しやつれた男性。
1人は教室に立ち、授業を行う気難しい顔をした男性。
鏡に触れた男性は、浅く溜息をつく。
あと1人だけ、所在が分からないので鏡には写しだせない。
分かってはいることだったけれど、少し残念だった。
3人を見ながら、男性と女性は寄り添って悲しく微笑する。
「感傷に浸るのは自由だけど、仕事はちゃんとするのよ」
「もちろんですよ」
後ろから聞こえてきた声。
男性は苦笑気味に振り向きながら、そう答えた。
いつのまにか2人の背後に立っていたのは、金色の長髪の、
黒いドレスとマントを翻して立つ全ての者の母だった。
この御方にどれほど感謝しただろうか?
感謝という言葉で表せないほどに。
「姉様。今日くらいは別にいいんじゃないかい?」
その後ろから顔を出す、母の弟。
彼の姿に、何処か残してきた息子の影が時折少しだけ重なる。
「そうね――今日だけは」
「「ありがとうございます」」
女性と男性は声を揃えて、全ての者の母に微笑んだ。
循廻管理者――。
5年後、運命が動き出すことは、まだ金色の魔王と
金色の弟しか知らない。
“ Trick or treat! ”
END.