※捧げ物
「ったく……じーさんめ……」
ぶちっ、ぶちっと、少々手荒く、けれど極力傷つかぬように、
薬草を引っこ抜きながら少年は愚痴を吐いた。
日が傾きかけて赤に染まりつつある空が木々の間から見える。
人気のない森の中に何故少年がいるのか。
それは今日の早朝まで遡る。
『ちょっとここに書いてある薬草を採取してきて下さいませんか?』
『……なあじーさん、それ困らないくらいのストックあったはずだろ?
しかも滅多に生えてないやつだよな?』
『そうなんですが、この間、売ってしまいましてね』
圧力をかけるよう、にっこりと微笑まれては断れない。
かなりの高齢だと言うのに、見た目は若々しい祖父。
少年が生まれた頃にはすでに “賢者” と呼ばれ、有名だった。
そんな祖父と共に旅をしている少年は、魔剣士の卵でありながら、
彼から幅広く様々な物事を教わり、研究の手伝いをしていた。
それは知識があるのに損はないと知っているからであり、
生まれつき目が開かない彼の細やかな事を気遣っているからだ。
本人に言う気はないが。
だからと言って、研究所からほぼ半日あるかないかという
こんな鬱葱とした森まで行ってこいはないだろうと少年は思う。
いくらこの時期しか採取出来ない薬草であり、そんなものを
自分がほとんど覚えてしまっているとはいえ。
盗賊やゴブリンが襲ってくる、などの心配はなかった。
たとえ目の前に現れたとしても撃退出来る自信があるからだ。
魔術は使えるし、実践用ではないが短剣も装備している。
だから祖父も供をつけずに、自分一人行かせたとさえ理解している。
だから少年は余計にいらついているのだ。
まるで、祖父の掌の上で楽に踊らされてる気がすると。
八歳の考えることではないだろうに。
「……ひとまずこんなもんか」
広げた布きれに乗った薬草の量を見て、ふーっと息をつく。
採りすぎていないか周辺を見て回るが大丈夫なようだ。
少年は薬草を潰さないように、優しく包みを作って立ち上がる。
そろそろ日が山の向こうに見えなくなってしまう。
さすがに夕飯を抜いたりしたくはない。
森を抜けて元来た道へと戻る。
少年は足を研究所の方へ向けようとして、ふと振り返った。
少し離れた所に、小さな女の子が一人ぼっちで座り込んでいる。
遠目で見ても肩が小刻みに揺れているから、泣いているのだろう。
もしかしたら迷子になったのかもしれない。
さすがに無視は出来ずに、小走りで少女に近寄った。
「大丈夫か?」
「ふえ?」
声をかけると俯いていた少女は顔を上げた。
埃だらけの黒い髪の下にある大きな瞳からは涙が溢れ、
左足の膝の擦り傷には血がじわじわと滲んでいる。
「転んだんだな?」
「……はい」
「ちょっと待ってろ」
五歳くらいの少女は、少年の問いに小さく頷く。
水筒を取り出し、水を布に含ませると足についた汚れを拭う。
本当は消毒薬があるのにこした事はないのだが、出かける時に
一人だから大丈夫だと、かさばる応急セットは持ってこなかった。
こういう事態があるなら、持ってくるべきだったと今更思う。
懐から予備に持ってきていた二枚の布切れを取り出す。
端を噛んで抑えながら、均等になるよう細く引き裂く。
腰の包みから、先ほど採取したものではない薬草を一枚抜き出して
両手でグリグリ揉みほぐし、出てきた緑色の汁を指先で掬う。
「これ、かなり滲みるからな」
「っ……!!」
「もう少しだけ我慢してくれ」
一言断ってから、汁を膝に塗りつける。
少女はびくんと大きく肩を震わせて息を呑んだ。
涙を零すものの、やはり声をあげない少女に少年は関心する。
これくらいの年齢の子供は、こんな怪我をしたら泣きわめくだろう。
近くに親もいなければ、どんどん空の色も濃くなってくる。
自分だとて、少女くらいの時ならこんな状況下は不安で仕方ない。
それなのにまったく声をあげて泣こうとしないのだ。
そこに、少女の確固たる意地の強さが見えた。
汁を塗った上に折りたたんだ布切れをのせ、その上から先ほど
細く引き裂いた布をずれないようにゆっくりと巻いていく。
そして充分に巻けた所で布の両端を結ぶ。
少々不恰好ではあるものの、八歳の手つきにしては上手いと言える。
脳裏に叩き込まれているその方法は、祖父的教育の賜物。
「こんなもんか。……ほら、立てるか?」
「はい。ありがとうございます」
少女は差し出された少年の手を取って、立ち上がる。
そこで初めて少年は少女の格好に気がついた。
その辺にある普通の町や、村に住んでいるような子供の服装ではない。
薄汚れているものの、白と黄のゆったりとしたローブらしき服。
まるで巫女か、そういう家系を思わせる。
「お前さん、どこに住んでるんだ?」
「セイルーンです」
「……ああ。なるほどな」
少年は納得して頷いた。
あの大きな白魔術都市なら、少女の服装も別に気にはならない。
セイルーンは少年と反対方向に歩いていけば、すぐに着く距離だ。
しかし、それならば少女は “迷子” ではない。
「何だってこんな所に……」
「もちろん、悪をたおしに行こうとしてたんです」
「…………あく?」
「そうです!」
袖でぐしぐしと涙を拭くと、晴れやかな顔で少年を見上げる。
「わたしの中にあるせいぎが燃えているのです! 悪をたおせとっ!」
「…………それは…すごいな」
「本当はとーさんと一緒に行くはずだったんですけど、とーさんは
おしごとがたくさん入っちゃったので、わたし一人でたおしに
行ったんです」
「…………倒せたのか?」
「ざんねんながら見つけられませんでした。でも平和なしょうこです!」
拳を握って熱を込めて話す少女に、少年は混乱した。
小さな少女が、一人で定めた目標のない悪を倒しに行くとは。
手当てをしている時に意地の強さは垣間見たものの、こんな正義かぶれの
熱血少女だとは思ってはいなかった。
しかし、不思議と違和感は感じない。
「そろそろ帰らないと親が心配するぞ」
「それもそうですね! ちなみにセイルーンってどっちですか?」
「……………………あっちだ」
結局、本当に迷子でもあったらしい。
「本当にありがとうございましたっ!! できればお礼をしたいんですけど
……わたし、今はなんにも持ってなくて……」
「いや、別にいいさ」
「そんなのせいぎじゃありません!」
正義じゃないと言われても、自分が勝手にした行為なのだ。
じっと見上げてくる少女に困り果てて眉を寄せる。
だが、ふいにある事を思いつく。
「お前さんは魔術を使えるよな?」
「少しなら使えますよ」
「リカバリィとかリザレクションは無理だよな?」
「はい」
「そうか」
頷く少女に少年は笑んだ。
「じゃあ習得しといてくれ。今度会えた時に、俺が怪我をしたら
今度はお前さんに治してもらう……それがお礼でどうだ?」
「わあ!! それはすてきなお礼ですねっ!! 分かりました、
がんばって使えるようにしておきます!」
「ああ」
「本当にありがとうございました!! また会いましょう!!」
にっこりと笑って、少女はセイルーンの方へ歩き出した。
次に会えるかどうか分からないというのに、本気にしてしまった。
うやむやに出来たはずなのに、少年は少しだけ罪悪感を感じる。
まあ、少女の力が向上するなら良いことなのかもしれないが。
少年も少女とは反対方向へと、足早に歩き出した。
「お帰りなさい、お疲れ様でした。今、夕食を温めますからね~」
「……じーさん……」
「はい? 何ですか、ゼルガディス」
「明日から俺にリカバリィ教えてほしいんだ」
もしもまた会う事があるなら。
今度はちゃんと手当てしてやりたいから。
END.