“サビついたテツのニオイ”。
そう、ダレがイったかシらないけどさ。
それはあんまりすぎるヒョウゲンじゃないかと想うんだ。
ナゼなら、ホンモノはもっとチガうニオイだから。
ホンモノはそんなニオイはしない。
とても “生” という、ハカナさとイトオしさをオシえてくれる。
すぐにヒロがるミちたイロと、ニオイはカクベツ。
ヒロがるマエもまた、いいものだ。
いつも、ワタシは想う。
マリオネットのように、ムヒョウジョウでサめたメでもなく。
ピエロのように “ゲーム” をタノしんでいるわけでもなく。
ただ “マスター” のイうメイレイを、キくだけの “ピース” 。
ワタシが、ウデをフるう。
そのシュンカン “ピース” のメに、キョウフがヤドる。
そのシュンカン “ピース” のカオに、オビえがハシる。
キりサく。
ハナやかにオドるように。
ソラへマいアがっていく、チふぶき。
セイレンされたアメのように、ダイチにフりそそぐ。
チサメのニオイは、 “生” と “死” のイトオしさを想わせる。
もちろんタオれゆくヌけガラのカラダがアげるコエも、いいオペラ。
ヒトリでなくスウニンキりサけば、ハーモニー。
もっとオオければミュージカル……オーケストラ……。
ああ、なんてスバらしい “ゲーム” 。
ワタシを “ゲーム” の “キャラクター” にしてくれてカンシャするよ、
こちらガワの “マスター” 。
ここはイチバン、ワタシがモトめたバショ。
クルおしいほどに想うコトのできる、ユイイツのバショ。
“マスター” も “ゲーム” も “ピース” も“キャラクター” も
“生” も “死” も、ただただ、ワタシが想いつめてヤまないモノ。
クレナイのチサメも、ヌけガラとなっていくシカバネのヤマも、
ノウコウにクウキをシンショクしていくムゲンのニオいも、
ワタシに想わせるばかりのシアワせ。
さあ。
まだ “ゲーム” はオわってはいない。
ほんのスコしでもオオく、ワタシにシフクのトキをおくれ。
このスベてをアイする “博愛主義者” のトコロで。
END.