「っ……!」
角を曲がった時、柔らかな閃光が目を射した。
暗い地下室から上がって来たせいで、世界が眩む。
眉をひそめながら掌で光を遮り、陰へと移動して息をついた。
ようやく視界が正常に戻ってきてから窓へと視線を移すと、
彼方へ沈みゆく夕陽が、窓の外でただただ静かに輝いている。
穏やかな夕暮れ。
夕陽に特別な感情があるわけではないが、全てを照そうとする
眩い陽射しは苦手だった。
まるで己の居場所すら浮き出してしまいそうで。
しんとした空間であるはずなのに、何故だか落ちつかない心持ちになる。
何を考えているのだと首を振って進みだし――少年はようやく、
少し先に立っている男の存在に気がついた。
彼は、窓辺に立って夕陽を眺めている。
とはいえ虚ろに佇んでいるわけではないらしく、なにごとかを深く
思案するかのような面持ちだ。
目的地まではこのまま真っ直ぐに行った方が早いのだが、
何故か男の傍を通り抜けてまで通路を進む気がしない。
少年は仕方なく、迂回することにした。
そっと踵を返しかけた所で、視線を感じたのか男が振り返る。
少年には、ふと男の額に傷のようなものが見えた気がした。
けれど癖の強い黒髪が揺れて、すぐに額を隠してしまったせいで、
本当に傷があったか分からなくなってしまう。
「……君は……」
そのまま立ち去れば済んだのだが――少年の足は、重く動かない。
硬直したように立ち尽くしている少年に、男は驚いたように瞬く。
男は小さく微笑み、少年に優しく声をかけた。
「こんにちは。授業の帰りなのかな」
「いえ……」
ぽつりと一言だけ返す少年。
男は特に気にしていない様子で、また夕陽へと視線を向ける。
するりと、こぼれるように少年の口からぽつんと言葉が落ちた。
「どうして目に出来るんだ……」
「何をだい?」
「……っ」
くるりと視線を戻す男。
はっと口元を抑えた少年に首を傾げた男は、小さく肩をすくめた。
「それは……夕陽を――それとも現実を?」
「な――っ!」
「もしくは、両方?」
大きく肩を揺らす少年に対して、男は穏やかな姿勢を崩さなかった。
未だ輝き続ける夕陽が、廊下を鮮やかに照らす。
窓辺に立つ男を光に染め上げているが、それでも陰に立っている
少年の足元には及ばない。
手を握り締め、俯いた少年はじっと足元を見つめる。
はっきりと別けられた明暗の立ち位置が、境界線だと思えた。
決して踏み入ることのない世界の表裏。
突きつけられてしまう。
もう届かないと。
「っどうして――」
「ん?」
「何が分かる。背を見せることが、それほどおかしいか。離れてしまえば
どうしようもない。当たり前のことだ」
衝動のまま、少年は言葉を吐く。
「それが惨めか。惨めで悪いか。先へ進むためには捨てることも必要だ。
目的のためには諦めることも必要だ、逃げることも必要だ!」
叫ぶ少年の目からは、もう男の姿は消えている。
見えるのはただ、遠い背中だけ。
「ならばもう関わるな! 目的のために進むならば、後ろを振り返るな!
捨てたものに目を向けるな! ――背を向けたのはそっちが先だろう!」
叫んでいることに自覚もなく、虚空を睨む。
脳裏に蘇っているのは鮮明な過去。
小さな己の手を引いて、力強く前を歩き。
時々振り返っては、己を気遣い。
守ろうとしてくれた笑みは、いつも同じで。
名前を呼べばいつだって振り返り、走る己を待っていてくれた。
追いつきたかった――けれど彼は走り出してしまった。
進むのだと思っていた方向とは、正反対に。
名前を呼べばいつだって振り返ってくれると、信じていた。
あれほど簡単に、そうではなくなるとは、知らなかった。
だから、忘れようとした。
優しい彼を、頼りだった彼を、強い彼を、一緒だった彼を。
苦しくても寂しくても、虚しくても、嫌った。
そうしなければ、己はただ孤独になってしまうから。
はあっと大きく息をついた時、優しく撫でられていることに気がついた。
ようやく我に返って見上げれてみれば、男が己を見つめていた。
男の表情は穏やかで、けれど、どこか痛みを伴う。
撫でる手を払い落として、少年は踵を返して廊下を走り去った。
「背を向けたのは……そっちが先、か……」
少年の――レギュラス・ブラックの背は、もう見えない。
NEXT.