男は黙したまま、窓際で空を見ていた。
暗闇はあいかわらず部屋を満たし、ただ窓の外で星が煌く。
最期の光を盛大に照らし続けている。
ちかり、ちかりと、大きな紅の灯火が瞬く。
一瞬ののち。
紅の灯火は闇の彼方に消えた。
最期まで見届けた男が息を吐こうとすると同時。
背後で音もなくドアが開いた。
暗い部屋にすらりと明かりが伸びてくる。
「失礼します。所長?」
後ろからかけられた部下の声に男は微動だにしない。
振り向かないだろうと思っていた部下は、予想通りの姿に苦笑する。
けれど表には出さずに心の中にしまいこむ。
でなければ、氷結の瞳で睨まれると知っていたのだ。
「所長、報告いたします」
「ああ」
一言で終わる返事は続きを促す言葉もなかった。
けれど部下は慣れた様子で頷いた。
腕に抱えていたボードを見ながら話し出す。
「コードネーム、プロキオン。プロジェクト・アークにおいて
経過良好、意思疎通良好、記憶障害皆無。プロキオン、実験成功です」
「そう……か……」
今度こそ男は息を吐き、ゆっくりと肩の力を抜いた。
張り詰めていた空気が和らぐ。
部下も緊張をほどいたものの、それ以上は何も言わなかった。
男は振り向いてじっくりと部下を見やる。
その瞳は氷結などではなく、温かな光を湛えていた。
そして温かみの中に、深い哀しみや苦しみがある事に部下は気づく。
「今まで手をわずらわせて……すまなかったな」
「何をおっしゃっているんですか。私は貴方の部下なんですから、
もっと使っていただきませんと困りますよ。同僚から給料泥棒と
言われたことがあるぐらい働いてないんですからね、私」
「……給料泥棒……」
「からかい八割、本気二割と言った所でしょうかね」
「もっと表で働かせた方が良かったか」
真面目に呟いた男に、部下は肩をすくめて苦笑を表に出した。
「申し訳ありませんが、ごめんこうむります。今回のように
裏でせっせか働く方が私の性にあってますので」
「そう、か」
「ええ」
「実験室に行ってくる。お前はどうする?」
「一緒に参りますよ」
二人は暗い部屋を出る。
ドアが閉じた瞬間、窓の外でまた星が瞬いて彼方に消えた。
薄暗い通路を歩いて、実験室のドアを開ける。
実験室はまばゆい光に満ちていた。
まるでこの建物全ての光を、この実験室に詰めこんだと思うほど。
かつかつと高い足音を立ててガラスの近くに寄る。
ガラスの向こうには、一人の少年が立っていた。
寝起きのようにぼんやりとしていたが、ふいに男の姿に気がつく。
笑顔を輝かせながらガラスに駆け寄ってきた。
男は少年の笑顔に頬を緩めた。
「……プロキオン、調子はどうだ?」
『だーいじょーぶー! アンドロメダに聞いたんでしょー?
成功成功!』
スピーカーごしに聞こえる声に男は安堵する。
約半年も、男は少年を見られず、声を聞く事もなかった。
それは男がプロジェクトの最高責任者で多忙だった事もあり、
また、少年が実験を受ける所を見る覚悟がなかったのだ。
今まで実験を受ける何百もの同士を見てきた男でさえ。
「……怖くはないか?」
『って、今更何言ってんのさー!』
そう、男の問いかけは今更だった。
実験はすでに成功していて、後は最後の仕上げが残っているだけ。
その最後の仕上げは最高責任者である男がするべき仕事。
部下はただ、かたわらで男と少年を見ている。
『こんなでっかいプロジェクトの最後を飾るのが僕だなんて、
とっても光栄じゃん』
少年の楽しげな言葉に男は目を見開く。
からかうように少年は続けた。
『知ってるんだよー、あんたが実験を受けないの。アンドロメダも
あんたにくっついて、実験は受けないんだよね? だから、
このプロジェクトは俺で最後の一人ー』
「……プロキオン……」
『そんな悲痛な顔しないでよー、ケイニス最高評議長閣下?
それともケイニス所長? ……それとも、おとーさん……?』
瞬間、男の顔がぐしゃりとゆがんだ。
それを見た少年は、自分が口にした言葉を後悔したように目を逸らす。
しかしすぐに目線を男に戻して、にっこりと微笑む。
『分かってるよー、二人だけここに残るの。皆を助けるために
二人だけ犠牲になるってことも』
少年は拳を握る男を見つめながら話す。
『絶滅を危惧した僕らを砂塵にし、各星に散らせ繁栄させるのが
表の理由。裏の本当の理由は死んでく星から僕らを助けるために、
砂塵にして各星に逃げさせる。……それが、プロジェクト・アーク
真の目的。でしょー? 』
男は思わず手元のボタンを見る。
厳重にセキュリティのほどこされたボタンは、
砂塵を密封にする一番最後の仕上げをするものだ。
密封された砂塵はそのまま外に放出される。
放出され、軌道上にある惑星にいつの日かたどり着く。
そこで開封された彼らは、そこでまた生きるのだ。
「……さすが……私の息子だな……」
『あれ? 初めてそんな事言ってくれちゃったー』
「……ずっと思っていた。でなければ……最後になどするものか……」
部下が残る事は今知ったが、男は一人残る決意をしていた。
だから周りが騒ぐのも聞かずに、最高責任者の立場を利用して、
実験の最後の仕上げを男自らがやってきたのだ。
それでも、たった一人の子供だけは手放せなかった。
本来ならば最初に実験をするべきだと分かっていたのに、
時期を伸ばして伸ばして。
――とうとう、最後の一人になってしまった。
『うん……そうだよね。そうなんだよねー。良かったー』
少年は泣きそうな表情で笑った。
『さよなら、おとーさん』
「…………ああ。」
カードキーを差しこんでロックを外す。
迫り出してきたボタンを男はためらいなく押した。
笑顔の少年は刹那のうちに砂塵になり、正方形の紙に密封された。
そして背後に開いた窓から、暗い彼方へと放出されていった。
窓が閉じる。
男はガラスに手をついて深く長い溜息を吐いた。
「……お疲れ様でした、あなた」
「……アンドロメダ……すまない……。今ならお前も……」
「ごめんこうむります」
部下であった妻は、男に向かって笑顔を向けた。
実験室のまばゆい光が、ゆっくりと薄暗くなっていく。
きっと母星が輝いている。
最期の灯火が瞬いて、瞬いて――。
その日、一つの星が流れた。
END.