ダンッ!
窓辺に立った青年は、勢いよく窓枠を蹴って夜空へ飛んだ。
身体が地上に引き寄せられる前に、青年は準備していた
呪文を発動して、風を生み出すと優雅に飛行する。
青年があまり好きではない向かい風でさえ、
今夜ばかりはまったく気にならなかった。
むしろもっと速く飛んで、強い風を受けてみたい――。
そんなことを思ってしまうほど、青年の心は高揚していた。
(最高だぜっ!)
青年は向かい風を気にするより、両腕に抱いているものの方が
大切だった。
腕に感じているのは、つい今しがた盗んできた 『お宝』 の重み。
高揚がより高まってきた青年は、にんまりとした笑みを浮かべた。
笑いがこみ上げてきて、ぷるぷると肩を小刻みに震わせる。
ちらりと後ろへ視線を流す。
青年が飛び出してきた屋敷はもう見えない。
まとっていた風を止めて、青年は地に降り立つ。
広がるのは一面の花畑。
陽の下なら色とりどりの花に囲まれているだろうが、
星明かりだけではどれも黒や灰色。
月が出ていれば違ったかもしれないが、
青年のような仕事をするには月がない夜が一番好ましい。
ついに青年はこみあがる笑いを堪えきれなくなり、
高揚する気分に任せて高笑いを上げた。
「はーっはっはっはっ!」
散々夜空に笑い声を響かせた青年は、誇らしげに目を輝かせる。
「ざまーみやがれ! さんざん馬鹿にしやがって、あんにゃろーども!」
青年の脳裏に次々と浮かんでくるのは、仲間たちの呆れるような表情。
この仕事をするのだと決めた時から青年は、
悪いことは言わないから止めておけだの、あまり無茶をするなだの、
周りを気にかけてくれだの、仲間たちに言われまくっていた。
周囲からすればどこか間の抜ける青年への心配の表れだったが、
青年自身からすればけなされているとしか受け取れない。
「なーにが、出来るわけがねーってんだよ。すっげー簡単だった
じゃねーか」
仲間の言葉を思い出しながら、腕の中の 『お宝』 に目を向けた。
「だろ?」
声をかけられた 『お宝』 はぼんやりと青年を見上げ、
何度か目を瞬かせる。
静かに青年の腕に抱かれているのは、一人の人間。
ウェーブがかった金髪をなびかせ、紫苑の瞳は宝石のように
透き通っている。
服装こそ寝巻きの薄手のドレスにショールを羽織った姿だったが、
整った顔立ちもまさに 『お宝』 と呼ぶに相応しい容姿だ。
状況を分かっているのかいないのか、 『お宝』 はじっと静かに
青年を見つめるばかりで何も答えようとしない。
けれど 『お宝』 に反応を求めることなく、
青年はひたすらに自分の腕に酔っている。
「ほんと拍子抜けだぜ…警護もねーし。どこが様々な事情で
下々の生活をしなければならない、やんごとなき血筋のお嬢様だよ」
青年は忍びこんだ屋敷を思い出す。
むしろ小屋と言う方が適切かもしれない、粗末な建物の
小さな一室に『お宝』はいた。
いきなり現れた青年に驚いたり悲鳴を上げたりせず、
ただただ不思議そうに首を傾げるだけで。
「お前って、実は勘当されて、あんなボロっちートコに
追いやられてたんじゃねーの?」
何も答えずにいた『お宝』の表情が、青年の言葉を聞くうち
怪訝そうになる。
青年の言葉がよく分からないように。
「安心しろよ。宝石をがっぽり貰ったらすぐ解放してやっから」
「……家に宝石はありませんよ?」
ともすれば風にかき消えてしまいそうな声で 『お宝』 は言う。
青年はきょとんと目を瞬かせる。
ひょいっと軽く肩をすくめ 『お宝』 を睥睨した。
「何言ってんだ。そりゃ、あのボロ小屋にはないかもしれねーが、
本家には――」
「もしや、貴方が攫うはずだったのは隣の家のお嬢様ではありませんか?
隣のお嬢様は確かにそのようなお話がありますから」
「……ってー、ことは……」
青年は言葉を止める。
訪れた静寂から 『お宝』 の声がはっきり青年に届いた。
「泥棒さんは、お屋敷をお間違えになったのだと思います」
「最悪だああああああああああっ」
よろっとふらついた青年は 『お宝』 を下ろすと、がっくり
地面に手をついた。
すっかり落ちこんでしまった青年を、 『お宝』 はおろおろと見やる。
あまりにもショックが大きすぎたせいだろう、
落ちこんだままの青年は『お宝』の様子にも気がつかない。
しばらくの間 『お宝』 は青年を気にしていたが、
ふと上空を見上げて目を見開く。
「……まだ駄目なのですね」
「駄目って言うな!」
がばりと顔を上げて叫ぶ青年に、きょとんと 『お宝』 は首を傾げる。
青年は自分に言われているのだと勘違いしたことに気がつき、
すばやく 『お宝』 から視線を外した。
気まずさをごまかすように、慌てて言葉を続ける。
「なっ、何が、駄目なんだよっ?」
「わたくしは目が弱いんです」
「目が……?」
逸らしていた目線を戻した青年は、 『お宝』 の目をじっくり見つめる。
確かに 『お宝』 の紫苑の双眸はまっすぐに青年の瞳を
射抜いているものの、誰しも持っているはずの輝きだけは弱々しく
感じられる。
「夜は歩くことが儘ならず、星を見たことがないのです。
外に出れば見えるかと思ったのですが……残念です」
ふわりと 『お宝』 は微笑んだ。
それは優しく清らかな微笑みだったが、青年は哀しさを我慢して
いるように見えた。
どんなに焦がれても諦めるしかなくて。
懇願さえ出来なくて。
静かに黙って、我慢することばかり覚えてしまったような。
ひどく哀しくて寂しげな微笑み。
「――じゃあ他に何が見たい?」
意識するより前に、青年の口から言葉が滑り落ちた。
目を瞬かせる 『お宝』 に、青年は顔を赤らめる。
「ほ、報酬なく返すのも癪だ。見たいものがあるなら、夜明けまで
付き合ってやるよ」
慌てて口添える青年に、 『お宝』 は楽しげに微笑んだ。
「もう叶えて下さいました。わたくし、星とお花畑が見たいと
思っていたのです」
土地が開拓され民家が集う 『お宝』 が住む辺りは、自然の花畑はない。
民家から離れればあるだろうが、目の弱い 『お宝』 が
一人で行ける所にはないのだろう。
「そ、そーか」
「泥棒さんにはとても感謝してます」
変なやつ、と言いそうになった青年はすんでの所で言葉を呑みこむ。
それはまさに自分も当てはまってしまうのだ。
手に入れるべき宝石の質として盗んだ 『お宝』 は無駄足。
仲間が知ったら、価値のない 『お宝』 に手間をかけるなと
小言を言われるだろう。
青年がちらりと 『お宝』 を見やると、掌で花を包んで愛でている。
その表情には先ほどのような哀しげな色はない。
(……撤回。あんま最悪じゃねーよ)
苦笑しながら 『お宝』 を眺めていた青年は、
ふと、あることを思いついた。
「あのよー」
「はい? 何ですか、泥棒さん」
「偽者でいーんなら見せてやれるぞ」
「えっ?」
驚く 『お宝』 に青年は笑う。
立ち上がった青年は片腕を伸ばし、呪文を唱えた。
「『天に流る焔よ、我の導となれ』」
瞬間。
青年の掌に小石ほどの、煌々とした灯火が数個生まれた。
青年が灯火を放る仕草をすると、灯火は虚空に浮いて
『お宝』 が座りこんでいる場所へとふわりと降りる。
「熱くないから触っても平気だぜ」
おそるおそる指先で触れる 『お宝』 は、触れても消えずに
目の前で光り続ける灯火に、感激したらしい。
満開の笑顔で青年を振り返った。
「泥棒さん! わたくし、ついに星を見ることが出来ました!
触れることも!」
「お、大げさだ。それに偽者だっつーの」
「偽者って何ですか?」
優しく灯火を胸に抱きしめ、『お宝』は首を傾げて青年に問う。
「わたくしにとっての 『星』 は、泥棒さんがくれたこの灯火だけです。
だから、偽者ではありません」
真剣な 『お宝』 に青年はたじろぐ。
ぱくぱくと口を開閉させて、長々と溜息をついた。
「……変な 『お宝』 盗んじまった」
「ふふふ。その 『変なお宝』 は、素敵な泥棒さんに攫われて
しまいました」
微笑む 『お宝』 に、青年は苦笑する。
「素敵のあとに有能ってつけとけ」
「素敵で有能な泥棒さん、 『変なお宝』 にも、名前はあるのですよ?」
思わず瞬きをした青年は、驚いて 『お宝』 を見やる。
『お宝』 の少し恥ずかしそうな表情が、灯火に照らされていた。
ふっと青年は悪戯っぽく笑った。
「全部を盗めなかったってのに、名前を教えられたって
覚えてらんねーよ」
END.