「はああああああっ!!」
気合とともに手にした棍を、前に突き出す。
棍の先は予測通り一点の狂いもなく、鳩尾に突き当たる。
『炎華』 にとってはどんな鎧の強度でさえも空しさとなり――
常闇におちる。
「うらああああ!! 撃破撃破あああ!!」
「旦那ー! 闇雲に突っ込んでかないでーっ!!」
先の方から、燃えた幸村様と慌てる佐助の声が聞こえてくる。
女武将とこちらへ向かってきた兵たちを相手にしていて、どうにも
離されてしまったらしい。
早く追いつかねば、幸村様は目的を見失ってしまう。
……あるいは、すでに見失ってしまったから、佐助がああして
慌てているのかもしれないけれども。
「ゆき……」
その声は最後まで音にならず、首筋に感じたのは殺気。
無意識ともとれる反応で振り返り――
ドンッ!!
向こうから一瞬先に振り下ろされた棍棒。
強い打撃をうけたのは、後頭部。
「く、うあ……っ……っ!!」
まるで世界が揺れたようだった。
ぎりっと歯を食いしばって 『炎華』 を背後へと突き出す。
ぶれた視界に聴覚をも奪われて、音は聞こえなかったけれど、
人を打ったという感覚は手に残った。
気がつけば、いつのまにか地面に倒れ込んでいる自分。
猛烈に襲ってくる吐き気と、おさまるような気配のない眩暈。
痺れる指先から『炎華』が滑り落ちて転がった。
定まらない呼吸に、全感覚が奪われる。
ああ、なんて情けない……。
戦場に立つようになり 『紅虎の姫』 と周囲から呼ばるようになって、
すでに幾年か経つというのに……。
これではお父様のお役に立つどころか、足手まといではないか!
此度の戦は今川義元公が相手。
油断は禁物ではあるが、お父様ならきっと無事だろう。
それならば少し離れた所の後方を任せたはつねも無事であり、
佐助はもちろん問題ないだろう。
幸村様は果たして、目的を思い出しただろうか。
影武者を得意としている今川に、混乱していないだろうか。
「ゆき……む、ら……さま……」
「せんせえ、おにーちゃ……みん、なぁ……」
しらないばしょ、みたことないばしょ、きたことないばしょ。
ここは、どこなの?どうして、こんなところにいるの?
なんで、あすかはひとりなの?
だってさっきまで、みんなといっしょにいたのに。
あすか、もうかえれないの?
……こわいよ……ひとりなんて、いやだよ……!
ガサリ
「ひゃうっ!!」
「……む? ……幼子か……?」
「おーい主殿ー? 主殿……っと……いかがしたんすー?」
「うむ、見てみよ由一。このような所に、めのこがおるのだ」
くさのむこうからでてきたのは、あかいきものをきた、しらないおじちゃんと、
おにーちゃん。
ここって、あすかがいたら、だめなところだったの?
どうしよう……みつかっちゃった……。
あすか、どうしたらいいの?
「うえ……っ……」
「ありゃまー、かーいそうに泣いてーらー。主殿の赤もさ、そーんなに
怖かったんかーねえ?」
「むっ、そ、そうなのか、由一?」
こわいこわいこわいっ!!
ぎゅうっと、とじためから、なみだがでてきた。
ふわり
めをとじてたら、なんだかあまいにおいがしてきた。
おはなとか、おかしとかじゃない、あまいにおい。
ゆっくり、めをあける。
おにーちゃんがしゃがんで、あすかのまえで、わらってた。
「おじょーちゃん、泣かんくても大丈夫。主殿の赤もさは怖かなぁさ。
アレで手触りいっとー、いでっ!」
「由一……止めよと言うたのに、まだ触っておったのだな?
お主という奴は……」
「へへへへへ……やめられないすわー」
「まったく……。驚かせてすまんな、わしは武田信玄という。
それは滝本由一。お主の名を教えてくれぬか?」
「……あすかは、あすか……」
「“飛鳥”か。良い名じゃのう」
あすかのあたまをなでてくれるては、すごくおっきくて。
すごく、あったかかった。
あまいにおいもまだきえてなくて、こわくてとまらなかったなみだが
ゆっくりとまってきた。
「あすか、ご両親はいづこか分かるか? 送っていこうな」
「……あすかには、おとーさんたちがいないの。あすかはあすかと
おんなじ、みんなといっしょのおうちにいたから。でもあすか、かえりかた、
わかんないの」
「――そうだったか……辛いことを訊いた。すまぬ」
おじちゃんがないてるみたいで、あすかはくびをふった。
だっていんちょーせんせーも、おにーちゃんも、みんなもずっといっしょに
いるから、あすか、ぜんぜんつらくなかったもん。
もう、あえないのかな。
ひとりは、いやだ。
「のう、由一?」
「……わーかってまーさ。主殿の言うこと、決めごとなど、この武田忍軍
筆頭、由一。想定内でござい」
「さすがわしの見込んだ男だ。ならば、許すか?」
「主殿に逆らう気など、これまでひとっつもなかったはずと思えば」
おにーちゃんはおじちゃんにわらう。
しろいとりさんをだして、あしになにか、かみをつけると、ぱっと
おそらにとばした。
おにーちゃんって、てじなとかするひとなのかな……?
するとおじちゃんが、また、あたまをやさしくなでてくれた。
「飛鳥……わしの家に来るか? わしの娘になるか?」
はじめてのった、おうまさんのうえ。
しんげんおとーさんのまえにすわって、だっこされたあすかにむかって、
ゆいちおにーちゃんがわらう。
「さぁて姫嬢? 着きましたよって。今日からこの城が、姫嬢のおうち」
まえをみてみると、すごくおおきなおうちがあった。
「ほれ飛鳥、気をつけよ」
おうまさんのうえから、がんばっておりようとすると、しんげんおとーさんが
じめんにおろしてくれた。
ぐしゃぐしゃになったかみを、ゆいちおにーちゃんがなおしてくれてると、
おとこのこのさけびごえがきこえてきた。
「うおおやくぁあぶあうっ!!!」
「はいはいよー、ごめんなぁ幸村殿ー? 今日はちょーっち、我慢しないと
駄目なんでなー」
「ぷはぁっ! なぜだめでござる、ゆいちどの!」
「……んんー? もしや幸村殿は、いがらしに持たせてた書はまったく
見てないんか?」
「いがらしのしょとは、なんのことでござる! それがしは、おやかたさまが
しろにおもどりになるとしか、きい、て」
おとこのこは、くびをかしげてしんげんおとーさんをみて、よこにいた
あすかにきづいて、めをまるくした。
あすかがおとこのこをみてみると、おとこのこのかおが、きゅうに
まっかになった。
いきなり、ゆいちおにーちゃんのうしろにかくれてしまったおとこのこに、
しんげんおとーさんはおおきなこえでわらう。
「これ幸村、しっかりせい。そう照れとらんで今日から我が娘になる
飛鳥に、ちゃんと名乗らぬか!」
「……な、なんと……!? お、おやかたさまの、ごそくじょで
あられるのですか?」
「うむ。幸村、お前が今日から守るべき娘だ」
「おのこを見せねば。幸村殿がそんなーおろおろしてたら、姫嬢も、
どうしていーか分からなくなってしまーね」
おとこのは、うなずく。
そっとゆいちおにーちゃんのうしろから、まえにでてくる。
あすかも、しんげんおとーさんのまえにでてみた。
かおがさっきよりも、まっかになった。
「そそそそっ、そ、それがしっ! さ、さ、さなだゆきむらと、もうすで、
ご、ござる!!」
「……ゆきむらくんていうの? はじめまして、あすかです。
これからよろしくね」
「よっ、よよよよよろしくおねがいいたすでござるぅっ!」
くすくすと、ゆいちおにーちゃんがわらった。
「ふふふ……めのこに対してはちょう照れ屋で恥ずかしがり屋の
幸村殿にしては、まーま上出来」
「うむ。……さて、幸村」
「はっ! なんでございまするか、おやかたさま!」
「飛鳥に城内を案内してやってくれぬか? お前の知る場所をたくさん
飛鳥に教えるのだ」
しんげんおとーさんが、ゆきむらくんにいう。
ゆきむらくんは、まっかなまま、めをきらきらさせた。
きっとゆきむらくんは、しんげんおとーさんのが、すごくすきなんだとおもう。
あすかには、それがなんだかすこしうれしいきがした。
「ぎょい! ……で、では、あすかひめ、そ、それがしと」
「うん! いくっ!!」
ぎゅっとてをつなぐ。
そしたら、ゆきむらくんのかおから、ぼんっておとがした。
さっきよりもっともっと、おかおがまっかになってる。
うしろで、しんげんおとーさんとゆいちおにーちゃんが、たのしそうに
わらうこえがきこえる。
ぱくぱくとくちをうごかしてたゆきむらくんは、がちがちなまま、てとあしが
いっしょのうごきをして、あるきはじめる。
でも、てをつないだままでいてくれるのがうれしかったから、もっと、
ぎゅっとにぎる。
ゆきむらくんのあるきかたが、もっともっとかたくなった。
しんげんおとーさんとゆいちおにーちゃんのこえが、おおきくなった。
ここが、あすかのおうち。
――目に入ってくるのは、霞んで薄くなっている紅の炎。
けれど、その濃さはだんだん増していく。
しばらくすると鮮やかな元の色彩に完全に戻った。
「飛鳥!!」
「……ゆ……きむら、さま……? 佐助、はつねも……」
声がした方を見やると、必死な顔をした幸村様。
後ろには硬い表情の佐助と、青ざめたはつねがいた。
わたくしがそれぞれ名前を呼んでみると、佐助とはつねが心から
安心したように息をついた。
……私は……どうして……?
横たわる体を動かそうとすると、ズキリと頭に痛みが走る。
「ああ、姫様っ……! 無理には動かないで下さいませ……!
後頭部を強く打っておられるようですから……」
はつねが慌てて、それでも静かに私の体を地に押し戻す。
後頭部――。
ちらりと辺りを目線だけで見回すと、兵らしき大男が倒れ、近くには棍棒と
『炎華』 が転がっている。
あのまま気を失ってしまったのか……情けない……。
「今川……っ! 戦、状況は!?」
「大丈夫ですよ、戦は俺たちがちゃんと勝ちました。旦那が本物の今川を
撃ち破ってくれましたからね。もちろんお館様も無事です」
「そう……良かった……」
「それじゃあ飛鳥姫も目覚めたし、俺たちは先に本陣に戻って
お館様に報告してくるとしますか。旦那、後は頼むよ」
「それではまた後ほど……姫様、幸村様」
さっと二人の姿が消えて、気配が遠のく。
幸村様が肩に手を添え、ゆっくりと体を起こしてくれる。
――ぎゅっと強く両手をにぎりしめられた。
手は小さく震えていて、ようやく幸村様の顔を見上げる。
今にも泣いてしまいそうな瞳が、わたくしを見ていた。
「心配……した……っ!!」
「幸村様……」
「気づいた時には飛鳥がおらず……探そうとした矢先、今川を見つけ
――飛鳥を探さねばと焦りながら撃破し……佐助とはつねを呼んで
探し回り……見つけてみれば、ぐったりと倒れていて……!」
震えが全て伝わる。
「某が飛鳥を絶対に守るとあの時、誓ったのに……!!」
『そ、それがし、それがしが、あすかひめをぜったいにおまもり
いたしまする!!』
『ありがとう! それじゃ、あすかもつよくなるね!』
「……ごめんなさい、幸村様」
「謝るのは某でござる」
「わたくしは生きております。貴方のお傍におります」
「こわ、かった……こんなに怖いと思ったのは初めてだ……」
「戦に出る者は誰でも怖いものです。だから早く戦の世を終わらせねば
なりません」
そう、怖い……戦は怖い。
敵といえど相手はただの人間なのだから……敵といえど、
わたくしたちはこの手で人を殺めているのだから。
それを“怖い”と思うことの、どこが武士の名折れだろう。
本当に“戦”の怖さを知っているのは、武士ではない。
無闇に巻き込まれてしまっている、罪もない民たちなのだ。
「某はもう一度――」
「幸村様?」
「俺はもう一度誓う。この真田幸村、飛鳥を必ず守り通す」
『し、しかし、あすかひめは!』
『ううん。あすかもつよくなるの! それでね』
「……ならばこの武田飛鳥、幸村様を必ずお守り致します」
『あすかも、ゆきむらくんをまもるの!!』
驚いた目をしながら、あの時も今も。
貴方は顔を赤く染めつつ、深く頷いて微笑んでくれた。
貴方を守り続けると誓う
互いの微笑みの約束