冒頭のみ。続きはなし。
「ありがとうございましたっ……!!」
「……うむ」
美由紀が目の前の俺に向かって、深く頭を下げた。
俺は軽く返事をすると、傍の大木に木刀を立てかける。
夜陰に冷える空気を静かに吸い込む。
激しい動きで火照った身体が、内から冷めていくようでとても
気分がいい。
ちらりと美由紀に目を向けてみる。
すると、タオルで顔をぬぐう合間から美由紀もこちらへと目を
向けた所だった。
「ん? なあに、恭ちゃん」
「……あと少しだったな」
「そう! そうだったんだよねっ!!」
俺の言葉に美由紀はがっくりと肩を下げる。
だいぶ前に免許皆伝したとはいえ、御神の剣士としての美由紀は
師であった俺に未だ勝利してはいない。
現在美由紀が目指しているのは、神速の中で行う二度目の神速。
今日、その刹那を掴みかけた所に俺の技が決まってしまい、掌から
すり抜けてしまったようだ。
「美由紀、焦るなよ」
「分かってる。もう変な無茶はしないよ」
「そうか」
自分の手をぎゅっと握りしめながら、しっかりとした声で美由紀は言う。
固い戒めと自覚の籠もった瞳を見て安堵する。
きっと少し笑っていたのだろう俺の顔に、美由紀も微笑んだ。
家族は、今の俺は以前と比べると雰囲気が柔らかくなったと笑う。
確かに……高校生だった頃は固かったかもしれないと、今なら分かる。
卒業するまでに経験したたくさんのことが、俺を変えてくれたのだ。
前に何となくそうこぼした時、美由紀は『変わったんじゃない』と
微笑みながら言ったのだが。
美由紀によると、俺は身内や信頼した人に対してはかなり甘いようで、
意地が悪かったりからかったり、意外と茶目っ気がある性格――らしい。
俺は高校を卒業して大学に進学し、弟子の美由紀も免許皆伝し、
壊した膝もようやく治る見込みが出てきた。
心身ともに余裕が戻ったおかげで性格が表に出るようになってきて、
普段はあまり変わりがないように見えるが、少しずつ素直に感情を表情へと
出してきている……というのが美由紀の見解だ。
――確かに、な……。
ふと。
俺は目を細め、美由紀は眉をひそめる。
深夜の桜台には、俺と美由紀が稽古をする以外に人が来ることは
ほとんどない。
そんな場所の近くに突如として現れた人の気配。
「……誰かな、恭ちゃん」
「さあな。……気配は殺していないようだが、油断するなよ」
警戒心を募らせながら静かに言うと、美由紀は頷いた。
大学に入って高校より大幅に時間が取れるようになった俺は、
父と同じくボディーガード業を始めた。
仕事をするほどに俺の名前は良くも悪くも売れているらしく、そこそこ
裏にも名前が通るようになっている。
そうなってからは出る杭は打たれると言わんばかりに、仕事以外の時にも
幾度か狙われたことがあるものだ。
それほど強くもなかったので、ことごとく返り討ちにしてきたのだが。
しかし……。
今夜の相手は急に気配を感じさせて、気配を殺そうともしない。
かなりの手馴れかと、神経を集中させて八景に手を沿わせ。
「恭ちゃん!!」
美由紀が叫ぶ。
上空から己めがけて吹っ飛んできた気配に、強く地を蹴った。
何故だか気配を掴めなかったことに、舌打ちしたくなる。
その場から飛びのいて距離を取り、背を低くし、気配が視界に入る寸前に
八景の濃口を切る――。
神経を尖らせていた頬に、ピッと何かの雫が落ちてきた。
雲一つない晴れ渡った夜空からは、雨など降りようはずもなく。
「――っ!?」
気づけば俺は落ちて来た気配を受け止めていた。
自分の無意識の行動に内心驚きながらも、気配の顔を確かめる。
腕の中で苦しげに青ざめて荒い呼吸するのは、酷く華奢な黒髪の男。
俺とも年齢がさして変わらない……大学生か高校生くらいだ。
背を支える手にぬるりとした嫌な感触が、そして匂いが伝わってくる。
やはり降ってきたのは血だったかと、顔をしかめた。
傷跡は服と暗闇に隠れていて見えないものの、この様子では重傷だろう。
酷い発熱を起こしているのも、その怪我のせいだ。
「恭ちゃん!? その人……」
「美由紀、武器を持っていないか確認してくれ」
「あ、うっ、うん! ええっと――」
困惑したままの美由紀に武装を調べさせる。
しばらくしてから美由紀は、ないと首を横に振った。
「……良く分からんが、かなりの大怪我だ。フィリス先生の所に
連れてくぞ」
「わ、分かった!!」
俺の言葉に、美由紀はおたおたと頷いて二人分の武装を手に持った。
それを確認してから、海鳴中央病院に向かって走り出した。
いきなり加わった連続する衝撃に意識が浮上されたのか、男が呻きながら
重く口を開く。
「……まみ……なさ、い……」
「しゃべるな」
「……を、えた……って……プルは、ぜん、ぶ……」
「しゃべるな!」
重症患者の処置を終えてから、腰に手をあてて2人を見やるフィリス。
ご立腹顔に、待合室で静かに待っていた俺と美由紀は愛想笑いを
浮かべるしかなかった。
To Be …?