蒼の名と紅の名
「……ヴォルデ…モート……」
小さく呟いたつもりだった。
だけど、俺を掴んで離さないこいつはしっかり聞こえたらしい。
俺を覗き込むそのままの体制でニヤリと冷たく笑いながら、
命令のような鋭さでもう一度言う。
『名を言え』
「……葵……、アオイ・タカハシ……」
“ワターシ エイゴ ワカリマセーン!”
――とか言ってやろうかと、一瞬だけ俺は本気で思った。
でも、相変わらずこうなった状況は分からないけど、こうして俺の
目の前にいるのは何故だか本物のヴォルデモートらしい。
闇の帝王相手に下手な演技でもして、あっさり殺されるのもすっごく
間抜けで嫌だから止めておいた。
何より、俺はそんな馬鹿らしい死に方したくねえ!!
『では、アオイ――。教えてやろう、お前がここにいるわけを……』
紅の瞳に、固く強張った表情の俺が見えた。
(気分悪い……その瞳に俺を映すな、――映すんじゃねえよ)
ヴォルデモートはようやく俺のあごから冷たく骨ばった指を離して、
ゆっくりと立ち上がると、見くだすような目線を向ける。
これで俺のあごが腫れてたら、お前のせいだ。
かぶれてたりしたら余計に最悪だ。
『お前は異世界と呼ばれる場所から召喚した、異世界人だ』
口元に小さな微笑を浮かべ、ヴォルデモートが話し出す。
やっぱりここはハリポタの世界なのかと実感する。
俺から見たら、お前らの方が異世界人だって分かってないな。
『何故、お前なのか。この俺様と同じ紅眼だからだ』
その言葉に、俺は思いっきり舌打ちしたくなった。
何となくそんなことだろうって思ってたけど、かなり不愉快だ。
口には出さないまま心の中で毒づいては吐き捨ててる言葉が、
さっきからどんどんと酷く悪くなってくのを、頭の片隅で自覚する。
もちろん、直してなんかやるつもりはない。
目を離したら負けだと言わんばかりに、俺はしっかりヴォルデモートを
睨み続けた。
『この紅眼を持つ最初の人物は、かのホグワーツを創設した一人である、
サラザール・スリザリンと伝えられている。 ……以来、スリザリンの
子孫は紅眼を持つそうだ。――力を宿す、紅眼をな』
(まさか……?)
睨みを効かせていた俺の瞳が、勝手に見開いていく。
それに比例する早さで心臓が大きく鳴り響く。
底から湧き上がってくるような悪寒に、身体がどんどん冷えていく。
続きの言葉を聞きたくなくて、すぐにでも耳を押さえたい。
だけど、それは臆病者のすることだ。
ヴォルデモートは俺の耳に囁きかけるように、結論を口にした。
『アオイ、お前は俺様の娘だ』
むすめ……むすび、でもなくてコスメ、でもなくて。
ムスメ…… ムスカ 、でもなくてパスモ、でもなくて。
――娘。
<娘>。
血が繋がった女の子供のこと、娘 ⇔ 息子。
確かに男の服だし男口調だけど、性別としては女だ。
(――そうじゃねぇって!!)
思考回路がショートしたような感覚。
何とか俺は自身を取り持った。
俺が、この俺がよりにもよって闇の帝王の娘という何とも馬鹿らしく
信じられない発言に、思うように二の句が繋げられない。
言葉が出ないでいる俺に、ヴォルデモートは何か持たせてくる。
ひやりと冷たい、細長くて固い木の枝のような棒。
(何だ?……もしかして杖?)
『お前の杖だ。アオイ、お前には俺様の片腕となってもらうぞ』
片腕って……俺は最悪な想像をして青ざめる。
よりにもよって犯罪の片棒をかつがせる気なのか、こいつは。
「俺は――!」
『“アオイ・ヴォルデモート・タカハシ”』
瞬間。
頭の中で、みしりと嫌な音が響く。
変な風に体から抜けてた力が、一瞬で戻ってきた。
(――存在を束縛された?)
良く分からないけど、何故だか俺はそう理解した。
逃げられない……もう俺は戻れないのだと。
家族が待ってる現実に帰れなくなってしまった、こいつがたった今、
俺に放った呪文で、俺の名前をこの世界に縛りつけたから。
(ああ、駄目だ……何も考えられなくなってきた――)
ぐらり、と眩暈がして闇に閉ざされた世界が揺れる。
杖を持ったまま、俺は冷たい床に両手をつく。
『……くくく……。まずは俺様が完全に動けるようになる手段を
見つけてきてもらうぞ、アオイ』
ぐるぐると脳裏でその言葉が、いや“命令”が駆け巡る。
自分の呪文を撥ね返されて、人という器が壊れたヴォルデモート。
ヴォルデモートを完全に元に戻す手段、方法を探す――。
この、俺が。
酷い眩暈と喪失と束縛の中で、俺は理性の限界を感じた。
もう、この衝動を抑えることは出来ないと。
「闇の陣営なんか入ってたまるかあ!!」
俺が叫んだ混信の怒鳴り声が、窓ガラスをビリッと奮わせた。
ぐつぐつとマグマのように燃えたぎってる心の内と別に、頭の中は
妙に冷静だったりする。
俺は脳裏で、ただ、やっちまったと呆れるしかなかった。
目の前の三人が、めちゃくちゃ驚いて固まってやがる。
存在を束縛されて黙り込んで俯いて。
呪文に抑制された俺が、ようやくヴォルデモートの命令を受け入れて
動きそうだと思ったんだろうが……。
まあ、当たり前の反応だな。
しかもそれが、断りとくれば。
「この俺が闇の陣営に入る!?はっ!!ちゃんちゃらおかしくて笑っちまうぜ、
ふざけんなってな!!誰がのこのこと大人しく従ってやるかってんだ!!
俺様卿の娘なんざ絶対お断りだ!!六十代の父親なんていらねぇし、
一人称が気に入らねぇ!!妹と違って俺は爆笑はしねぇが、立派な
三流だと思ったぞ!?俺様なんて今時誰も使わねぇギャグだろうが!!」
ヴォルデモートを指差し、俺はノンブレスで言い切ってみせた。
……そうだ、認める。
俺はこうしていったんぶちりとキレてしまうと、何も考えられなくなって
口が悪くなり、こうして暴言マシンガントークをしてしまう。
まるでトルコ行進曲――。
理性のタガが外れたせいで、水が流れるように口が勝手に動いてるから、
頭が冷静でもまったく止められなくて、余計にタチが悪い。
院長とか弟妹たちから二重人格みたいだってさんざん笑われて、
それからキレたりしないように抑えてたんだけどな。
今までは、ずーっとずーっと……。
「てめえが俺を逃がさねぇっつーんなら、意地でも逃げてやる!!
エクスペリアームズ!」
ばちっ!!
杖を振って、俺はいちかばちかで知ってる呪文を叫ぶ。
すると杖から青い光が飛んで、後ろの二人の杖を吹っ飛ばした。
さあ、こうしてやっちまったもんは仕方ない。
(――走るぞ、高橋葵!!)
NEXT.